セサミ色々日記

雑談に変更

アマルティア・セン:3

⑤2012年1月27日:考える自由②

センの続きです。前回、人々は人間を、包括的で単一の区分で分類したがる傾向があるということについて書きました。なぜ、そのような傾向があるのか、それは、人々には、何らかの集団に帰属し、アイデンティティの共有意識を持ちたいからです。そのこと自体には多くの利点があるのですが、ともすると、そのような帰属意識は、集団間の対立意識を激しくし、通常だったら考えられないような暴力的な行動を引き起こす可能性を大いに秘めていると、センは論じます。

【2】帰属意識と排他性
帰属意識の利点
・同一性(アイデンティティ)の共有意識は、単に誇りや喜びの源となるだけでなく、力や自信の源にもなる。
アイデンティティ意識は、ほかの人びと、つまり隣人や同じ地区の住民、同胞、同じ宗教の信者などとの関係を強め、温めるうえで重要な役割を果たす。特定のアイデンティティに関心を向けることによって、われわれは連帯感を高め、お互いに助け合い、自己中心的な営みを超えた活動をするようになる。


帰属意識がもたらす排他性
アイデンティティ意識は、人びとを温かく迎える一方で、別の多くの人びとを拒絶しうるものであることも、あわせて認識しなければならない。住民が本能的に一致団結して、お互いのためにすばらしい活動ができるよく融和したコミュニティが、よそから移り住んできた移民の家の窓には嫌がらせのために煉瓦を投げ込むコミュニティにも同時になりうるのだ。排他性がもたらす災難は、包括性がもたらす恵みとつねに裏腹なのである。
・人にはえてして好戦的となる、唯一のアイデンティティがあると考え、それがなにやら多大な(時にはひどく不快な)要求を本人に突き付けるのは仕方がないという意識が培われた場合には、暴力が助長される。唯一のアイデンティティとされるものを押しつけることは、しばしば党派的な対立をあおる「好戦的な技」の重要部分を占めるのである。


アイデンティティのすり替えと、暴力の醸成
・単一基準のアイデンティティという幻想は、そのような対立を画策する者の暴力的な目的に見合うものであり、迫害や殺戮を指揮する者によって巧みに醸成され、助長されるものだ。対立目的に利用できる単一のアイデンティティという幻想をかきたてることが、暴力をあおることを専門にする人びとを惹きつけるのはおどろくべきことではないし、そのような還元主義が求められている事実にも、なんら不思議はない。
・暴力的な目的のために単一のアイデンティティを主張する際には、一つのアイデンティティ集団――目下の暴力関係と直接結びついている集団――を選び出してとくに焦点を絞るかたちををる。そこから特定のものを強調し鼓舞することで、その他の関係や帰属の重要性を失わせる方向へと進む(「そんなよその問題についてよく語ることができるね? 同胞が殺され、女性たちはレイプされているというのに?」)

・人びとが自覚するアイデンティティをすり替える作戦は、世界各地で残虐行為を引き起こし、それによって旧来の友人が新たな的になり、浅ましい党派主義者がにわかに強力な政治指導者に変身してきた。

・あいにく、そうした暴力をなくそうとする多くの善意の試みもまた、われわれのアイデンティティには選択の余地がないという思い込みに縛られており、それが暴力を根絶する力を大いに弱めることになる。異なる人々のあいだで両行的な関係を築こうとする試みがおもに、(人間がお互いにかかわりあうその他無数の方法には目もくれず)「文明の友好」とか「宗教間の対話」、あるいは「さまざまな共同体間の友好関係」という観点から見られれば(現にその傾向は強くなっている)、平和を模索する以前に、人間が矮小化されることになる。


 では、上記のような状況を食い止めるための解決策を、センは提唱しています。それは次回。

 

⑥2012年2月11日:考える自由③

私たちの時代は歴史の中ではじめて、ちがった国の人々の間の、友好的で理解あるつき合いができるようになった時代であることを考えてみて下さい。前には諸国民はお互いに相手のことを知らずに生活してきました。そして、実際、お互いに憎み合ったり、恐れ合ったりしたのでした。同胞的理解の精神がみんなの間で、ますます基礎を固めてゆくことを望みます。
 このことを思い浮かべながらひとりの年老いた人間である私が、君たち日本の生徒諸君に遠くから挨拶します。
 そして君たちの世代が、いつか私たちの世代を恥ずかしいものにするだろうことを期待しています。
アインシュタインが日本の学校児童に送った手紙より in 『本の中の世界』)


 やっとセンの最終回に入りました。長引いてしまい、すみませんでした。
 前回は、単一集団への帰属意識が排他性をもたらしやすく、党派間の対立や暴力に悪用される危険性があるという内容でしたが、それを防ぐための方策として、センは、複数のアイデンティティの選択を提唱しています。

【3】複数のアイデンティティの選択
①好戦的・残虐的な排他性への対抗策
アイデンティティにもとづく考えが、これほど残虐な目的に悪用されうるのであれば、解決策をどこに見いだせばよいのだろうか?(中略)好戦的なアイデンティティの勢力には、相反する複数のアイデンティティの力で対抗できると考えなければならないだろう。
  ↓
相反する複数のアイデンティティとは、
・日常生活のなかでわれわれは、自分がさまざまな集団の一員だと考えている。そのすべてに所属しているのだ。国籍、居住地、出身地、性別、階級、政治信条、職業、雇用状況、食習慣、好きなスポーツ、好きな音楽、社会活動などを通じて、われわれは多様な集団に属している。こうした集合体のすべてに人は同時に所属しており、それぞれが特定のアイデンティティをその人に付与している。どの集団をとりあげても、その人の唯一のアイデンティティ、また唯一の帰属集団として扱うことはできない。
  ↓
 具体的には、センに関する第1回目(11月11日、ああそんなにも前だったのか!)の冒頭に書いた文章が、そうです。
・一人の人間がなんら矛盾することなく、アメリカ国民であり、カリブ海域出身で、アフリカ系の祖先をもち、キリスト教徒で、リベラル主義者の女性であって、かつヴェジタリアン、長距離ランナー、歴史家、学校の教師、小説家、フェミニスト異性愛者、同性愛者の権利の理解者、芝居好き、環境活動家、テニス愛好家、ジャズ・ミュージシャンであり、さらに大宇宙に知的生命が存在して(できれば英語で)交信する必要があるという考えの信奉者となりうるのである。
  ↓
 例えば、日本とA国が戦争しそうな状況になり、A国への敵対心を煽るようなプロパガンダがなされたとします。その場合でも、マラソン大会でA国の選手と知合いになっていたら、あるいはA国の環境活動団体と交流があったとしたら、あるいはA国のジャズ・ミュージシャンが大好きだとしたら、単純にA国を憎むことなどできなくなると思うのです。複数の帰属集団を持ち、縦横斜め複雑な網目状の交流を形成することにより、国家間・民族間・宗教間の単純な対立を回避できる可能性が生まれるのです。
  ↓
 しかし、時と場合によっては、複数の帰属集団のうち、どれを優先すべきか決定しなければなりません。そのような場合には、論理的思考により、自ら優先順位を決定すべきであるとセンは説きます。


②論理的思考による選択
 様々な局面で、人がどのように行動すべきかは、生まれついた単一の集団によって決められるのではなく、個々人が、自らの責任において、論理的・理性的に考え、自ら決断して選んでいくべきであると、センは訴えます。

・人生を送るうえで根幹となるのは、自分で選択し、論理的に考える責任なのである。
・われわれに必要なものはなににも増して、自らの優先事項を決めるうえで享受できる自由の重要性を、明晰な頭で理解することなのだ。

  ↓
・たとえば、私の亡妻エヴァの父エウジェニオ・コロルニは、1930年代のムッソリーニによるファシズム体制下のイタリアで、イタリア人であることと、哲学者であり、大学教授、民主主義者、社会主義者であることによる異なった要求を比較しなければならず、哲学を研究する道をあきらめて、イタリアのレジスタンスに加わった(彼はローマにアメリカ軍が到着する二日前に、ファシストに殺された)。
・「祖国を裏切るか、友を裏切るかを選ばなければならないとしたら、祖国を裏切る勇気が自分にあることを願う」(E.M.フォースター

  ↓
 日本人に生まれついたのだから、この民族に生まれついたのだから、この宗教に属しているのだから、運命に従うしかないのだ、仕方がないのだ、といった考え方をセンは徹底的に批判し、人は自らの行動を考える自由と責任を負うべきであると説きます。
 そのような考えの根底には、人生は運命で決められているのではなく、自ら切り開いていくものなのだ、というセンの信念があるように思います。
・おそらく最大の障害は、複数のアイデンティティを認めることから生まれる論理的思考と選択の役割を無視し、否定することにあるのだろう。単一基準のアイデンティティという幻想は、われわれが実際に暮らす社会を特徴づける多種多様な世界よりも、はるかに不和を生むものになる。選択の余地のない単一性による誤った説明は、われわれの社会的、政治的な論理のおよぶ範囲と力に甚大な被害をおよぼすものだ。運命という幻想は、驚くほど重い代償を課すのである。
    ↓
そして、最後に、このように締めくくっています。

・本書のテーマでもある人間の矮小化に抵抗することによって、われわれは苦難の過去の記録を乗り越え、困難な現在の不安を抑えられる世界の可能性を開くこともできるのである。血を流しながら横たわるカデル・ミアの頭を膝に抱えながら、11歳だった私にできることはあまりなかった。だが、私は別の世界を、手の届かないものではない世界(※下線及川)を思い浮かべる。カデル・ミアと私がともに、お互いがもつ多くの共通したアイデンティティを確かめられる世界を(かたくなに対立する人びとがその入口で叫んでいても)。


【参考文献】
アマルティア・セン著、大門毅・東郷えりか訳『アイデンティティと暴力:運命は幻想である』勁草書房、2011
湯川秀樹著『本の中の世界』みすず書房、2005


p.s.
 センが上記のような考えに至った経緯として、監訳者は次のように書いています。
「イギリスからの独立まもない1940年代、センがベンガルの実家で幼少時代を過ごしていたころ、イスラムヒンドゥーの無益な争いを目の当たりにする。あるとき、一人のイスラム教徒カデル・ミアが、自宅の庭で血まみれになっているのを目撃する。結局、カデルはイスラム教徒であるがゆえに、たいした手当を受けることなく、死んでいく。セン少年は、この事件に深く心を痛め、疑問を抱き、こうした対立を克服するためにはどうしたらよいか、そこから自問自答をはじめる。その後の長年にわたる研究や思考の結果、行き着いたひとつの答えが「アイデンティティを選択する」自由である。これは社会の現実の矛盾、また矛盾ゆえに生ずる人と人、国と国との争いを目の当たりにした、セン自身の悲痛な訴えとも思える。(中略)
 人々の可能性は無限であり、そのなかから理性的な選択をすることにより、制約条件はあるものの、必ずや「暴力の非制度化」が可能であるという思いが込められている。」

p.p.s
 冒頭に書いたアインシュタインの文章も、センの主張も、理想論にすぎない、きれいごとにすぎない、現実はそんなもんじゃない、生ぬるい、といった批判がなされるかもしれません。確かに、そうかもしれない。完璧な平和、完璧な友好なんて存在できるわけない。
 しかし、現実を少しでも良い方向へ持っていきたいとの願いから、いや、そうできるとの信念から、理想を掲げるのは、生ぬるいことなのでしょうか。
 非現実的な理想論など意味がないという考えは、「政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことができない」というトーマス・マンの言葉が意味する内容と同様に、最初から試合放棄していることに繋がらないでしょうか。
 いい年齢にもなって、理想論に感動してしまう私は、愚かなのかもしれない。自分の考えすらおぼつかなく、行動も全然伴ってなく、自らを情けないと思いながらも、センの考えを読むと、いいなぁ、こうなりたいなぁ、こうできたらいいなぁ、と思ってしまう私は、愚かなのかもしれない。
 それが愚かなら、私は愚かに生きていきたいと思う。

 

アマルティア・セン:2

③2011年11月22日:センについての補足

前回、アマルティア・センについて簡単な紹介を書きました。付け足しで、センの著書の特色について書かせてください。

 センの著書のうち、一般の人々向けに書かれたものは大変読みやすいのですが、専門書は、とっても難しくて読みにくいです。経済学の分野では、数式がばりばり使われていて、また、経済学以外の分野は、本当にとことん理論づくめで、ちょっとでも気を抜くと、何を言っているのかわからなくなってしまい・・・。私が読んだ本は、まだ大分読みやすいものだったのですが、それでも大変でした(※読破できたのは3冊だけです)。ウィキペディアでは、『センは経済学の中でも高度な数学と論理学を使う厚生経済学や社会選択理論における牽引者である』と評されています。

 センの扱う分野は、貧困、平等、道徳、正義、倫理などの、情感に流されやすい内容です。だからこそ、数学と鋭い論理でもって、徹底的に理性的に論じることで、説得力を持てるのではないか、と私は考えます。
 センの経済学・哲学の根底には、過酷な、あまりに過酷な現実を、少しでも良い方向に持っていきたいという強い願望と、理不尽な立場に置かれている人々に対する暖かく優しい想いに溢れているように思われます。しかし、だからこそセンは、感情を排除し、数学と理論で武装し、世界に斬り込んでいくのです。

 更にすごいのは、センは、自分と反対意見の相手を打ち負かすために、議論をしているのではありません。単に反論するのではなく、議論によって、より良い結論を導き出し、現状を少しでも改善していこうとしているのです。センの著書の訳者である大石氏は、このように評しています。

 センの議論が他の論者とやや違うところは、他の論者たちがまったく気付かずにいた論争全体の盲点を付くこともしばしば行いますが、それだけではありません。蝸牛角上の争いに堕しやすいアカデミックな哲学論争の双方の対立意見に含まれる、その最も優れた部分を見事に見抜いて融合させて、現実のなかで生じている問題の具体的解決へ向かうところに、センの議論の特色があります。

p.s.
 センは数学と論理でもって、徹底的に理性的に論を進めると書きましたが、そういうお前はどうなんだ?!と聞かれたら、いや、全くもってダメです。全然ダメです。すみません
 私は、なるべく理性的であろうとは思ってはいるのですが、最終的には自分の直感に従います。今までの経験上、それが一番上手くいくから。自分自身に関しては、理性よりも動物的感覚の方が良いような感じがします(※ホモ・サピエンス以下?!まあ、別にそれでもいいや)。もちろん、直感だからはずれることも多いけど、短時間理論的に考えても絶対出てこないことを当てたりできます。そして、その後、数週間または数ヶ月間または数年間かけて、自分の感覚を理論化していきます。一応、人のはしくれとして・・・。
 良い子の皆さんは、人間ならば、アマルティア・センをお手本としましょう!お願いします。

 

④2012年1月11日:考える自由①

私が初めて殺人事件に遭遇したのは、11歳のときだった。イギリスによるインド統治末期を象徴する共同体間の暴動が頻発した1944年のことだ。(中略)おびただしく出血している見知らぬ人が、突然うちの門から庭に転がり込んでくるのを私は見た。助けを求め、水を少しくれと言いながら。私は両親に向かって叫び、水を汲みに行った。父はその負傷者を病院に急いで連れていったが、彼はそこで息を引き取った。カデル・ミアという名前の人だった。
(中略)
 ムスリムの日雇い労働者だったカデル・ミアは、ごくわずかな賃金のために近所の家に向かう途中で、刃物で襲われた。カデル・ミアを路上で刺したのは、彼がだれか知りもせず、おそらくはそれまで一度も彼を見たこともない人びとだった。11歳の子供にとって、この事件はまさしく悪夢であっただけでなく、なんとも不可解な出来事だった。なぜ突然、人が殺されなければならないのだろう? しかも、犠牲者のことを知りもしない人間によって、なぜだ? 彼が殺害者たちにどんな危害を加えたというのだ?
(中略)
 車で病院に駆けつけるあいだに、カデル・ミアは私の父に、共同体間の暴動が起きているあいだは、敵地に入らないよう妻から言われていたと語った。だが、家族に食べさせるものがなく、彼はわずかな収入を得るために、仕事を探しに出かけなければならなかった。家計が逼迫して必要に迫られたことの報いが、死を招く結果になったのだ。経済的貧困と広範囲に及ぶ不自由(生きる自由すら失うこと)の恐ろしい結びつきは、圧倒的な威力をもって私の子供心に、深い衝撃を与えながら刻まれた。


 今回から、アマルティア・セン著の『アイデンティティと暴力』という著書について紹介をしていきます。
 この本では、近年世界で起きているテロ、紛争、暴動は、人々を宗教・民族・文化といった観点のみから分類することでより助長されている、という論が展開されています。人間を包括的で単一の区分のみに基づいて分類をすることは、人間を矮小化し、暴力を助長し、考える自由を奪うことにつながるとセンは考え、そのようにならないための解決策を示しています。

 現在の日本においては、民族間や宗教間の激しい対立が起きている訳ではないので、この本をわざわざ紹介する必要はないかなぁ、センの紹介のみで十分かなぁ、と悩んだのですが、以下の2つの理由により、やっぱり書こうと思いました。

 近年、日本企業のグローバル化が著しく、この先一層進展すると考えられます。今の二十代以下の人たちが外国に赴いて働く機会は増えていくだろうし、また、たとえ日本にずっと暮らしているとしても、様々な国籍の人たちと一緒に仕事をする機会が増えるでしょうから、上記のような内容を理解しておくことは必要ではないかと、考えたからです。

 もう一つの理由は、二十代以下の人たちの方が、その上の年代の人たちよりも、センの考えをより理解できるのではないか、と感じたからです。
 私は日経新聞を購読しているのですが、今年の1月から1面に、『C世代駆ける』という特集記事が連載されています。『C世代(ジェネレーションC)』とは、コンピューター(Computer)を傍らに育ち、ネットで知人とつながり(Connected)、コミュニティー(Community)を重視し、変化(Change)をいとわず、自分流を編み出す(Create)という、ソーシャル・メディアが生んだ若年世代を指しています。
 日本の経済状況が逼迫していくにつれ、保守的で閉鎖的な考え方が強くなっていくのではないかと私は懸念しているのですが、その一方、上記のような『C世代』が突破口として働き、新たな世界を創っていってくれるのではないか、とわくわく期待もしています。
 センの考えを私ごときがどこまで伝えられるのか、かなり心もとなさを感じてはおりますが、もしかしたら少しは役立つことがあるかもしれないと考え、できる範囲で頑張ってまとめてみよう!と思いました。
 なお、センの著書からの抜粋は「黒色の文字」で、他からの引用は「ピンク色の文字」で、私の解説は「紺色の文字」で示します。


【1】包括的で単一の区分法による人間の分類

・過去数年間に起きた暴力的な事件や残虐行為は、恐ろしい混乱と悲惨な衝突の時代の幕開けを告げるものとなった。世界的な政治的対立は、往々にして世界における宗教ないし文化の違いによる当然の結果と見なされている。(中略)この考え方の根本には、世界の人びとはなんらかの包括的で単一の区分法によってのみ分類できるという、偏った思い込みがある。

・現代の世界における紛争のおもな原因は、人は宗教や文化にもとづいてのみ分類できると仮定することにあるのだ。単一的な基準による分類法に圧倒的な力があることを暗に認めれば、世界中が火薬庫になる可能性がある。世界を一意的に分割する見方は、人間みた似たもの同士という昔ながらの考えに反するばかりでなく、われわれはさまざまに異なっているという、あまり議論されないが、より説得力のある理解にも逆らうものだ。


 
 例えば、ウィキペディアによると、2001年の同時多発テロ後、アメリカではイスラム教への敵意が広まり、ムスリム(男性なら頭にターバンを巻き髭を生やした人、女性ならばヒジャブを被り顔だけ出している人)に対するヘイトクライム(※憎悪犯罪)の数が急増した。イスラム寺院イスラム教の学校、中東系のコミュニティセンターには電話や手紙による脅迫が相次ぎ、落書き、石や火炎瓶の投擲、銃撃、豚の血を入れた箱をモスクの入り口に置いておくという悪質な嫌がらせである。道を歩いていても罵声を浴びたり、アラブ系経営者のお店、特にガソリンスタンドも危険なため、閉鎖せざるをえない状況になった。ムスリムは1日5回の祈りをするが、そのお祈りの中心寺院であるモスクも暴動を恐れて閉鎖された。大学キャンパスでは中東系の学生が卵を投げつけられたり、職場では突然解雇されたり、数々の嫌がらせがアメリカ国内で広がった。アラブ系には全員身分証明書携帯を義務づける案に対して賛成者が49%、アラブ系の強制送還を求めようという案には58%ものアメリカ人が賛成する結果が出た」そうです。

 ある人個人がどのような人かということは全く考慮されず、単にイスラム教徒というだけで、憎悪の対象となってしまうという状況です。宗教という単一区分のみで人を判断するため、イスラム教徒ならば誰であろうと悪である、という図式が成り立ってしまうのです。
 古い話ですが、第二次世界大戦中の日本だって、「打倒鬼畜米英」という言葉にあるように、アメリカ人・イギリス人=鬼畜、という図式が成り立っており、多くの人々はその考えに洗脳されていたのですしね。
(時間がないので今日はここまで。つづく)

アマルティア・セン:1

アマルティア・センに関しては、センター試験で出されてから、高校生には知られるようになりましたが、下記のブログを書いた当時は、高校では全く教えられていなかったと思います。

高校で教わる内容とはポイントが異なるかもしれませんが、私なりのセンの解釈を記したブログです。長いので2回に分けて載せます。

 

①2011年11月11日:魚も鳥も、植物だ!

一人の人間がなんら矛盾することなく、アメリカ国民であり、カリブ海域出身で、アフリカ系の祖先をもち、キリスト教徒で、リベラル主義者の女性であって、かつヴェジタリアン、長距離ランナー、歴史家、学校の教師、小説家、フェミニスト異性愛者、同性愛者の権利の理解者、芝居好き、環境活動家、テニス愛好家、ジャズ・ミュージシャンであり、さらに大宇宙に知的生命が存在して(できれば英語で)交信する必要があるという考えの信奉者となりうるのである。
アマルティア・センアイデンティティと暴力』
 

 以前、インド人の友人のファニちゃんが日本に暮らしていたとき、彼女の両親が来日することになりました。私は1日、鎌倉観光のガイドをしたのですが、その時に最も困ったことは、食事でした。
 彼女のお母さんがヴェジタリアンで、卵以外は植物しか食べないからです。もちろん、動物性の調味料もダメで、いちいち厳しいチェックが入り、私があげたパイナップル・キャンディーに、魚のダシは使われていないかと、真顔で聞いてくるし。
 そういえば、酢豚にはパイナップルが入っている、とファニちゃんが余計なことを言い出すし(※なぜ食べもしないのにそんなこと知っているの?!)。酢豚は中華料理だと答えたら、豚肉好きの中国人が豚肉とパイナップルを組み合わせるのだから、魚好きの日本人がパイナップルを魚を組み合わせてもいいのではないかとか言い出すし。いくら日本人でも、そんな不味そうな組み合わせは食べない!と頑張って力説したら、恐る恐る口に入れて、そしたら、美味しい!って喜んでるし。
 精進料理でもいいかな、と思ったのですが、私の知っているインド人は全員、濃ーい味付けだ大好きで、十中八九、味がない!と言われるだろうし。結局、お好み焼とか食べてもらい(神妙な表情をしてた)、その後、七里ヶ浜にある『Bills』というセレブ好きのお店にいき、クレープとアイスを食べてご機嫌になってもらえて、良かったのでありました。ふー。

 インド人にはヴェジタリアンが多いのですが、一口にヴェジタリアンといっても色々です。私の知合いでは、植物と牛乳・バターはOKだけど、卵はダメという人が多いです(卵は生命の元だからです)。ジャイナ教徒の人々は、厳格なヴェジタリアンで、卵はもちろんのこと、玉葱、ニンニク、生姜などの根菜類も食べません。それらを食べると、生命の元を断ってしまうことになるからだそうです。
 ファニちゃんのお母さんに言わせると、卵は動かないから生命体となってはいないので、食べてもOKだそうです。
 コルカタ(旧カルカッタ)出身の知合いは、魚を食べるのが大好きなヴェジタリアンだそうです。それってヴェジタリアンじゃないよ、って言ったら、コルカタでは魚が多くとれるからいいのだ、ときっぱりと断言されました。
 ファニちゃんは、豚肉と牛肉はダメだけど、鳥肉はOKのヴェジタリアンだそうです。鳥肉を食べる人はヴェジタリアンとは言えないのではないか、と聞いたら、そんなこと言ったら外国で暮らせないでしょ!と怒られました。はい、すみません、私が悪かったです。魚も鳥も、植物の仲間です。私の柔軟性が欠けていました。懐の浅い人間で、すみません。もっと多元的で広い眼を持たねばならない・・・ううう。(つづく)

 

②2011年11月17日:センについて

先週、アマルティア・セン著『アイデンティティと暴力』という本を読みました。この本について書く前に、著者のアマルティア・センについて紹介させてください。
 センの講演論文をまとめた『貧困の克服』という本の巻末に、訳者の大石りら氏がセンの経歴について、重要な点は漏らさずに、コンパクトに分かりやすくまとめてくれています。そこで、大石氏の文章からの抜粋(*)センの他の著書からの抜粋(**)+私の解説(※)、という形で書かせてください。今回はちょっと、堅苦しい内容ばかりですが、どうかご了承ください。

 (*)アジア人の経済学者として、初のノーベル経済学賞受賞の栄誉に浴したアマルティア・センは、1933年、インド東部のベンガルで生まれました。(中略)
 センがちょうど9歳になった頃の1943年にベンガル大飢饉が起こりました。それによって餓死した人々は、二百万人を越すといわれています。幼いセンは、学校の校庭に迷い込んできた、飢えのために錯乱状態に陥って苦しむ人々を目撃して、大変なショックを受けました。この消し去りがたい記憶が、どうしてインドは貧しいのかという幼い頃から抱きつづけてきた疑問と結びついて、センはのちに経済学者となる決心をしたそうです。


 ※センはコルカタ大学とケンブリッジ大学で経済学と哲学を学んだ後、コルカタ大学、デリー大学、MIT、オクスフォード大学ハーバード大学などの大学の教授となり、1997年から2004年まではケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学寮長となり、その後再びハーバード大学教授となります。
 1998年には、経済の分配・公正と貧困・飢餓の研究における貢献によりノーベル経済学賞を受賞します。また、2001年からは、緒方貞子前国連難民高等弁務官と共に「人間の安全保障委員会」の議長も務めました。

 (*)センの研究分野は驚異的な広がりを持っています。それは、厚生経済学開発経済学、社会選択理論、貧困理論、所得分配理論、公共政策論、そして政治哲学、道徳哲学、経済倫理学、開発(発展)倫理学法哲学、人権理論にわたっていますが、それらは内的連関によってそれぞれ見事に結び付けられており、しっかりと基礎付けられています。

 ※センの提唱した概念には様々なものがありますが、その内、ここでは、①「合理的な愚か者」、②「潜在能力(capability)」、③「エージェンシー(agency)」の3つを紹介していきます。

①「合理的な愚か者」
 ※従来の経済学では、人々は、他人のことなど考慮せず、自分の利益が一番大きくなることを目的として行動する、という考えが前提となっていました。しかし、
(*)センはこの精神的に貧しい利己的な人間像と――彼はこれを「合理的な愚か者」と呼んでいます――その行動の“動機”に批判を加えています。(中略)人間のとる行動の動機の構造をその倫理的動機も含めて、もっと広く捉えなおす必要があると彼は主張しています。
 彼がこの「合理的な愚か者」のかわりに提案したのは、(中略)人は自己の権利を主張する前に、まず他人にどのような権利が与えられているかを考えなくてはならないというものです。人々の行動は(中略)利己的な動機に支えられているのではなく、「倫理的な思考や道徳的な価値観に動機付けられている」ということも意味しています。
 他人の権利が侵害されていることを知ったうえで、それによって自己の置かれている状況には何ら利益はもたらさないことだけれども――また、たとえそれが不利益をもたらすことがあっても――その他人の権利の侵害をやめさせるために何らかの行動に出る決心をすること、センはこれをコミットメントと呼んでいます。(順序逆転)
 それによって、経済学が温かい心を再び取り戻すことが可能となり、社会問題や政治問題に経済倫理の視点から取り組むことが可能となるのです。



②「潜在能力(capabilitiy)」
(**1)個人の福祉は、その人の生活の質、いわば「生活の良さ」として見ることができる。生活とは、相互に関連した「機能」の集合からなっていると見なすことができる。(中略)重要な機能は、「適切な栄養を得ているか」「健康状態にあるか」「避けられる病気にかかっていないか」「早死にしていないか」などといった基本的なものから、「幸福であるか」「自尊心を持っているか」「社会生活に参加しているか」などといった複雑なものまで多岐にわたる。(中略)
 機能の概念と密接に関連しているのが、「潜在能力」である。これは、人が行うことのできる様々な機能の組合せを表している。従って、潜在能力は「様々なタイプの生活を送る」という個人の自由を反映した機能のベクトルの集合として表すことができる。


 ※この言葉を端的に説明するのは、なかなか難しいのですが、私が抱いているニュアンスとしては、衣食住が足りて、教育や医療を受けられて、参政権があり、安定した雇用・治安が確保され、自分が持っている能力を活用して仕事やその他の社会生活に参加できて、誇りを持ってハッピーに生活できることで、その他具体的に何が必要かは自分で色々とチョイスしていくもので、例えば、子供を何人育てたいとか、犬を飼いたいとか、休日はボランティア活動を行いたいとか、スポーツをしたり音楽を演奏したり絵を描いたりして楽しみたいとか、60歳過ぎても働きたいとか、それらの事柄を自分の能力と状況と意志に基づいて自由に組合せ、皆それぞれ異なる人生だけれども、皆それぞれ(金持ちとかそういうことではなくて)気持的に豊かな生活が送れるような状態、って感じです。

 「人が自らの価値を認める生き方をすることができる自由」(**2)のことを、センは「潜在能力(capabilitiy)」と表現しているのです。そして、貧困とは、「たんに所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態とみなければならない」(**2)としています。
 現在の日本では、食料が入手できないほどの経済的貧困状態は見られませんが、学校に通っても学級崩壊しているとか、スクールカーストが存在するとか、KYと言われたくなくて自分の思う意見が言えないとか、自分が希望する進路を選べないとか、単一的な価値観でしか物事を判断できないとか、そういった状況は、私は、「潜在能力」が欠如した貧しい環境だなぁと思います。


③エージェンシー(agenncy)
(※センのいうエージェンシーとは)(**2)「主体的、能動的に行動する力、そうした行為」のことである。センはこれをきわめて重視する。「人々が勇気と自由をもって世界に直面する」ことが大切だからである。

(*)もし私たちの「潜在能力」の向上をサポートしてくれる制度が社会に存在しないのであるならば、そのための新しい制度が創られるように、政治的、市民的権利を行使して、主体的に行動すべきなのです。(中略)“発展”そのものにとって重要な役割を演じるのは、エージェンシー、すなわち人間の主体的行為です。


【参考文献】
(*)アマルティア・セン著、大石りら訳『貧困の克服――アジア発展の鍵は何か』集英社新書、2008(第19版)
 この本は、センがシンガポール、ニューヨーク、インドのニューデリー、そして日本で行なった講演をまとめたものです。読みやすくてセンの入門書としては最適です。これ以外の本は、ちょっと、難しいです。

(**1)アマルティア・セン著、池本・野上・佐藤訳『不平等の再検討――潜在能力と自由』岩波書店、2011(第19版)

(**2)アマルティア・セン著、石塚雅彦訳『自由と経済開発』日本経済新聞出版社、2007(第6版
)

君のためなら千回でも

いま、アップしている動画で、『自由からの逃走』について話そうと思っていました。そういえば、以前のブログで書いた気がして、調べてみたら書いていたので、ここに載せます。

この頃は、自分なりにいい文章を書いていたなぁと思います。現時点においては、このような文章が書けないかもしれない。この頃はセサミを開いて1年未満で、何もかもが必死で必死で、でも新鮮で新鮮で。

はじめて生徒さんが算数オリンピックの予選に通過したとき、うれしくて夜中に走って歩道橋の上で大泣きしてしまったことを覚えています。なつかしい。

ではでは

 

2011年10月27日

君のためなら千回でも:その1:自由からの逃走

よく適応しているという意味で正常な人間は、人間的価値についてはしばしば、神経症的な人間よりも、いっそう不健康であるばあいもありうるであろう。かれはよく適応しているとしても、それは期待されているような人間になんとかなろうとして、その代償にかれの自己を捨てているのである。(中略)
 自由からの逃避のメカニズムは、人間が個人的自我の独立を捨てて、その個人には欠けているような力を獲得するために、かれの外がわのなにものかと、あるいはなにごとかと、自分自身を融合させようとする傾向がある。現代においては良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交代した。われわれは古い明らさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気がつかない。われわれはみずから意志する個人であるというまぼろしのもとに生きる自動人形となっている。
[エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』東京創元社、1965(新版)]
 

 最近、由比ヶ浜から鵠沼海岸へ引っ越し、電車1本で通勤できるようになったので、かなり楽になりました。
 湘南の街の概して伸び伸びとしているのですが、鵠沼海岸の伸びやか度はすごいです。金髪でモヒカンのどうみても60歳過ぎている人が普通に溶け込んで歩いているし、真昼間から道端で長さ2メートル以上もある奇妙な楽器を演奏している人が、通りすがりの人と仲良く雑談しているし。日曜日の午前中に、うちから歩いて5分の海岸に行ったら、RCサクセションの音楽を大きくかけながらのどかな雰囲気でサーフィン大会をやっていて、そのそばではアウトドアでヨガをやっていて、そのそばではフリーマーケットをやっていて、そのそばでは日本酒愛好会の人たちが海岸でごきげんに日本酒を飲んでいて、その他犬の散歩やらジョギングやらビーチバレーやら単に寝転がっているやら、みんなそれぞれ自分の好きなことを自由にやっていて、なんかいいなぁって思います。

 自由というと、勝手気ままっていう印象がありますが、本当に自由を享受するためには、決断力と自律性と重い責任感とが伴うのであり、人は自由から逃れたがる側面もある、ということを教えてくれたのが、上記のエーリッヒ・フロムの著書でした。

 エーリッヒ・フロムという人物は、1900年にドイツに生まれ、社会学・心理学・精神分析学を研究し、フランクフルト大学で教えていたのですが、ナチスに追われ1934年にアメリカに亡命し、以後アメリカやメキシコの大学などで社会心理学を教えていた人です。権威主義的パーソナリティという概念を生み出した人物としてもよく知られています。その意味は、ウィキペディアには以下のように書かれています。

 硬直化した思考により強者や権威を無批判に受け入れ、少数派を憎む社会的性格(パーソナリティ)のことを指して権威主義的パーソナリティと言われる。
 1930年代のドイツにおける、ファシズム台頭を受入れた普通の人々や下層中産階級に関して、社会心理学的な分析を行なったフロムや、アメリカの社会学者たちによって、人間の社会的性格(パーソナリティ)として主張された。フロムはこれを権威ある者への絶対的服従と、自己より弱い者に対する攻撃的性格の共生とした。思考の柔軟性に欠けており、強い者や権威に従う、単純な思考が目立ち、自分の意見や関心が社会でも常識だと誤解して捉える傾向が強い。外国人や少数民族を攻撃する傾向もよくある。このような社会的性格を持つ人々がファシズムを受け入れたとした。


 1941年にフロムは、ナチズムやファシズムを信奉する人々の心理を分析した『自由からの逃走』という著書を発表しました。
 フロムの文章は独特です。かっちりとした論理的構造を基盤として、難解で複雑で深遠な内容を、少しでも読み手に伝わりやすいように、様々な角度から色々な表現や例を駆使し、文章を編み出していきます。しかし、『自由からの逃走』は戦時中に急いで書き上げられたため、フロムの他の著書と比較すると、若干荒っぽい仕上がりになっています。フロム自身も前書きでこう書いています。

 私はある概念や結論を、もっと広い視野にたって十分に説明してから引用したかったのであるが、じっさいにはそれはできないことがしばしばであった。他の重要な問題についても、通りすがりにとりあげるか、ときにはまったくふれることさえできなかった。しかし私は、心理学者は必要な完全生を犠牲にしても、現代の危機を理解するうえに役立つようなことがらを、すぐさま提供しなければならないと考えるのである。 

 しかし、『自由からの逃走』を読むと、その冷静で論理的な文章の下からは、「伝えたい」というフロムの想いが、ひしひしと滲み出てくるように感じられます。
 フロムの本の内容を、私ごときが、超かみくだいて数行にまとめてしまうことには、すごくためらいを感じるのですが、でも書きます。

 先にも書いたように、自由っていうと、気ままで奔放なイメージがありますが、フロムの言う自由はそれとは異なり、自分で考え、自分の意志で決定し、自律性に基づいて行動し、その結果について全て自分が負わなければならないという、重たい印象のものです。誰かの言いなりになって動いて、無責任でいる方が、気楽っていえば気楽ですよね。でも、下っ端でいることは嫌。だから、他人の権威をかさに、集団で、下を作りたがる。
 フロムの表現を借りるならば、「かれは権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時にかれはみずから権威であろうと願い、他のものを服従させたいと願っている。」
 ドラえもんでいうならば、ジャイアンの権威をかさにのび太を虐めるスネ夫みたいなもんですかね。
(つづく)

 

2011年10月28日

君のためなら千回でも:その2:The Kite Runner

わたしたち父子は二人とも罪を犯し、裏切りを働いた。
けれどもババ(※父親の名前)は、良心の呵責から善を生み出すすべを見つけた。
わたしはなにをしただろう?
自分が裏切った人々に自分の罪をなすりつけておきながら、
それを忘れようとした以外に。
わたしはなにをしただろう?
不眠症になる以外に。
物事を正すために、いったいなにをしただろう?
[カーレド・ホッセイニ君のためなら千回でも』]


 確か2,3年ほどまえ、本屋さんで大阪府知事橋下徹氏の本を立ち読みしたことがあります。『どうして君は友だちがいないのか (14歳の世渡り術) 』というタイトルで、いじめられたら強い者の仲間入りをしろ、スネ夫になって生きのびろ、といったことが書いてありました。14歳の処世術としては上手い方法なのかもしれない、スマートな方法なのかもしれない。ある程度割り切って要領よく振舞わなければ、自分が餌食になってしまうかもしれない、だから、自分の身を守る方法としてはすごく良い方法なのかもしれない。でも私は、この本を読んでいて、なぜか、気持ち悪くなってしまいました。

 で、話は飛びますが、2週間ほど前、ブックオフをふらふらしていて、今まで読んだことのないタイプの本を探そう、と思い立ち、くるくると回っていたら、カーレド・ホッセイニというアフガニスタン出身でアメリカに亡命した人が書いた小説を見つけました。日本語タイトルは『君のためなら千回でも』となっていて、感動を煽ってるぽくて、そういうのってちょっとなぁー。原書のタイトルは“The Kite Runner(凧を追う人)”となっていて、今更凧上げに興味はないしなぁー、アフガニスタンのこともほとんど知らないし、別に興味がある訳でもないしなぁー。でも、せっかく手に取ったのだから、ま、いいか、買ってあげよう、といった超上から目線の何様モードで買って、読みました

 内容は、主人公のアフガニスタン人が、少年時代に友達を裏切り、その後アメリカに亡命して、大人になってからまたアフガニスタンに行って。だめだ、読み終えて1週間たった今でも、この本のことを考えると、感情の波がドワーンと押し寄せてきて、全く冷静になれません。どうしよう。訳者あとがきを引用させてください。

 物語は一九六〇年代の平和なアフガニスタンから一九七三年のクーデター、ソ連によるアフガニスタン侵攻、ムジャヒディンの台頭、タリバン時代、二〇〇一年のアメリカによる空爆まで、今日のアフガニスタンを背景にしながらも、愛、友情、絆、裏切り、秘密、贖罪といった普遍的文学テーマが、まるで精緻な機織り機によって織りこまれたかのように美しく描かれている。(中略)
 随所にアイロニーがちりばめられ、それらが緊迫感をともなってたがいに響きあいながら、時代や運命に翻弄される人々の姿をくっきりと鮮明に浮かびあがらせているのだ。それを綴る完結で端正な文章の底に流れているのは悲しみだが、その悲しみのなかには、希望を求めてやまない祈りが垣間見える。
 

 この小説の主人公は、弱さを抱えています。人間誰しも弱いものだから、当たり前。自分の周囲の大切な人を傷つけ裏切ります。それもごく普通の当たり前のこと。しかし、とあるきっかけで、自分の弱さに、自分の裏切りに、自分の卑劣さに向かい合い、弱々しくみっともなくふらつきながらも、何とか良く生きよう精一杯模索していきます。これも当たり前と書きたい。
 物語の内容自体は重たく悲しいものですが、自らの弱さに必死に向かい合おうとする人々のひたむきさを、作者は、優しい眼差しで、簡素ではあるけれど美しく煌めく文章で編み上げています。この爽やかな読後感は一体何なのだろう?

 訳者あとがきを見てみると、この本は、カーレド・ホッセイニのデビュー作で、世界52ヶ国で出版され、これまで(※2007年まで)に累計800万部を売り上げ、ニューヨークタイムズのベストセラーリストに120週以上連続でランクインし、いまだに勢いが衰えす、映画化もされたと書いてありました。
 彼の第2作の『千の輝く太陽』という本は、過酷な状況下を力強く生き抜くアフガニスタンの女性を主人公としたもので、アマゾンによると、「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリスト第1位を記録し、2007年度にアメリカで最も売れた小説となったそうです。
 このような本が評価され多くの人々に愛されて読まれているという点において、アメリカという国が、すごく羨ましく思いました。

カーレド・ホッセイニ著、佐藤耕士訳『君のためなら千回でも』ハヤカワepi文庫、2007年☆

ブログ引越し④:スラムドッグ$ミリオネア = ぼくと1ルピーの神様

ブログ引越し第4弾です。

『ぼくと1ルピーの神様』という小説についてのブログなのですが、この小説について知っているひとはほとんどいないかもしれません。しかし、この小説は映画化されていて、こちらのタイトルならば、聞いたことあるかもしれません。

スラムドッグ$ミリオネア』という2008年のイギリス映画です。第81回アカデミー賞では作品賞を含む8部門を受賞した名作です。コロナで家で暇している人は、これすっごく面白いので、是非、観てみてください。

 

2011年6月6日:ぼくと1ルピーの神様 その1:中学名簿で苗字書換

 4年ほど前に、NHKスペシャル「インドの衝撃:第1回:わき上がる頭脳パワー」という番組を観ました。インドのIT企業や、MIT(マサチューセッツ工科大学)よりも難関と言われることもあるIIT(インド工科大学)や、IITを目指す若者達が通う予備校などが紹介されていました。  ラマヌジャン数学アカデミーというその予備校は、当時で30人近い生徒をIITへ合格させていたのですが、建物には壁もなく、コンクリートの床とトタン屋根だけでできていました。番組のラストでは、屋根で覆われていない席に座っている生徒が、雨が降る中、左手に傘を持ちながら、ものすごい集中力で授業を聞きノートを書いている姿が映し出されました。その生徒の真剣な眼差しがとても印象的で、今でもくっきりと覚えています。

 ところで、インドでは、1950年に制定されたインド憲法によりカースト制度は全面的に禁止されましたが、実生活ではいまだに、あらゆる場面において、透明な糸のように張り巡らされているように感じられます。カースト制度というと、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ、不可触民という分類がよく知られていますが、数千もの職業集団による『ジャーティー』という分類もあったり、また名字でも上下関係が分かったりするようです。

 町の小さな食堂を営む家系に生まれた私の知合いは、中学入学時に学校の名簿に記載された自分の名字を書き換えることに成功し、新たな名字を手に入れたそうです(※ちなみにインドには戸籍がないそうです)。

 そんなのってありなの?!と私が何度もしつこく問い詰めると、彼は自分と父親と弟のパスポートを持ってきて見せてくれました。確かに彼の名字だけ異なっていました(※ちなみに彼は養子でもないし、婿取婚でもありません)。  名字というカーストから抜け出すという幸運を手に入れた彼は、その後、自らの努力と度胸と機知としたたかさとその他諸々を駆使し、様々な事業をトライし、自動車部品の輸出入でちょっと成功して、息子さんをアメリカの大学に通わせ、インドの高級住宅地に2件もの家を持つことができました。煮ても焼いても食えない程の彼のバイタリティは、感動ものです。

 職業カーストから抜け出す方法もあります。これまでに存在したことのない新しい職業に就けばいいのです。新しく誕生した職業の一つとして、IT関連の職業が挙げられます。しかし、それなりの収入を得ることのできる職に就けるのは、並外れた能力と勉強の環境を得ることのできた、ごく一部の人に限られてしまうと思うのです。

 

2011年6月14日:ぼくと1ルピーの神様 その2:命がけのバク転・側転

 2009年のアカデミー賞で、作品賞を含む8部門の賞を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』の原作である『ぼくと1ルピーの神様』という本を、先週読み終えました。

 インドのムンバイのスラムで生まれ育った無学の青年が、『クイズ・ミリオネア』(みのもんた氏が司会をやってたクイズ番組のインド版)に出演し、それまで培ってきた人生経験をもとに、クイズに全問正解してしまいます。

 日本の格差社会なんて鼻息で吹き飛ばしてしまうくらいの、超格差社会インドの底辺で育った青年の、18年間の人生が描かれていました。映画も面白かったけれど、小説の方がよりリアルで面白く、ぐいぐい読んでしまいました。終わり方はちょっと理想的っぽいかもしれないけど、そこは、エンターテイメントとして受け取ればいいのかな、って思います。

 訳者のあとがきに、小説のきっかけについて、このように書かれていました。

 「この物語を生みだすきっかけになったのは、一九九九年にニューデリーで行われた、貧困地域にインターネットを広めるプロジェクトだったということです。このプロジェクトで、学校に通ったことも新聞を読んだこともないスラムの子どもたちが、たった一ヵ月で自由にインターネットを使いこなせるようになったのです。教養のあるなしに関係なく、人は誰でも新しいことを学びとる力を持っている、それを強く感じた作者は、クイズを勝ち抜く知識を人生から学びとったストリートチルドレンを主人公にすることを思いついたそうです。」 

 ニューデリーの中心部にコンノート・プレイスという繁華街があります。その入り口付近の、とある信号の横の歩道には、いつも6~10歳位の子供たちが数人待機していてました。信号が変わり、渋滞の車の流れがストップすると、子供たちはすかさず車道に駆け出し、車と車の間のわずかなスペースでバク転や側転を披露し(※女の子はスカート姿で!)、運転手にお金をせびり、そうこうしているうちに信号が変わって車が動き出すと、走っている車の隙間をぬってまた歩道に戻り、薬漬けでうつろな眼をしてどてっと座り込んでいる母親の横にいる赤ん坊をあやしたり、歩道でそのまま大きな用を足して道端に転がっているコンビニ袋でさっとお尻を拭いたり、観光客にお金をせびったりし、そうこうしているうちにまた信号が変わると再び車道に飛び出し、バク転や側転をやり、運転手にもっとやれと言われて側転をしまくっているうちに信号が変わって車が動き出し、きわどいタイミングで轢かれるのを避けてなんとか歩道に戻り、といったことを繰り返し、体を張っていや命を張ってお金を稼がされていました。

 ある時、私は一人の子に持っていた飴をあげたら、他の子供たちに、「チョコレート、チョコレート、チョコレート」と叫ばれながら(※いやチョコレートじゃなくてキャンディーなんですけど)取り囲まれてしまい、私の持ち物全てをくれくれとせがまれ、5分位その場を一歩も動けなくなってしまい、しまいには「もうあげる物なんてないから、歩かせて~! 通らせて~! どいてどいて~!!!」と日本語で大声で叫ぶはめになってしまいました。

 飴をあげる直前までは、彼らの身の上や将来を案じていたのですが、あまりの元気さを前に、もう訳が分からなくなってしまいました。

 インド的なものに触れると、その混沌から湧き出るエネルギーに圧倒され、私のちっぽけなつまらない常識を吹き飛ばしてもらえるんです。

☆ヴィカス・スワラップ著、子安亜弥訳『ぼくと1ルピーの神様』ランダムハウス講談社、2009☆

 

 

遺伝子組み換え大豆と30%の人々

バビロンとは、『紀元前18~6世紀の古代メソポタミア地域における主要な王国』だったそうです。繁栄をきわめ、このバビロンで金融という金銭のしくみが生まれたそうです。

バビロンの人々の金融の原理、富を増やす原理は現代にも当てはまるとのことで、それを詳しく書いた本が、ジョージ・サミュエル・クレイソン著『バビロン大富豪の教え』です。

その漫画本のさらに要約本がキンドルで無料で読めたので、読みました。まぁ、それなりに面白かったです。

そこでは『黄金に愛される七つ道具』が紹介されていて、その1つが

「収入の十分の一を貯金せよ」

というものです。

 

それにヒントを得て、私は印税の一部を浪費することにしました。え、それ、ダメじゃん・・・いやいや、有益な使い道になると考えています、多分。

それを賞金にして、今年の8月から『セサミ・チャレンジ』を開催しようと思ったのです(※失敗したら、すぐに止めるので、その際はごめんなさい)。

なんでわざわざそんなことをするのか、理由はいくつかあるのですが、それはさておき、チャレンジの内容をどうしようかと、このところ数ヶ月悩んで悩んでいます。

当初は、算数や数学やプログラミングを使った何らかの課題を出して、優秀な人に賞金(図書カードとかiTuneカードとか)をあげようと考えていたのですが、課題の設定が難しくて、悩んでます。

数学やプログラミングを使ってデータ分析してもらおうと考えていたのですが、高度な知識がないとやりにくくて、応募できる人が限られてしまいます。

そこで、何か別の良い課題がないかと探し迷っていました。

そんな折、3日前に、ふとしたことで、H先生がとてもいいヒントをくれたので、何とか決まりそうです。

当初の予定通り3月に、課題を公表できそうで、良かった良かった。

 

そんなわけで、最近データや統計の本ばかり読んでいました。統計資料の本や、Pythonを使ったデータ分析の本などで、ここで紹介するにはちょっとつまらないかな、というものばかりです。

だがしかし!!!

面白い本がありました。

伊藤智章氏の

地図化すると世界の動きが見えてくる

地図化すると世界の動きが見えてくる

 

 と、データブック入門編集委員会編の

 です。

地理の勉強とかつまらないなぁ、覚えることばかりでいやだなぁと思っている人、この本は、「へぇ~へぇ~へぇ~、そうだったんだ、へぇ~へぇ~へぇ~」と興味深く読み進めることができます。

私が最も驚いたのは、アルゼンチンの状況です。

伊藤氏の本に書かれていたのですが、「アルゼンチンの大豆収穫量は年5339万トン(2016年)で、日本の230倍の規模」になるそうです。

アルゼンチンが大豆の世界的な大産地なのですが、栽培が盛んになったのは第二次世界大戦後のことで、とくに生産量が増えたのは、1990年代から遺伝子組み換え大豆を栽培するようになったことが要因だそうです。アルゼンチンの大豆はほぼ100%が遺伝子組み換えだそうです。

ところで、大豆の生産量はどうなっているのかと思い『2020データブック オブ・ザ・ワールド 世界各国要覧と最新統計」(二宮書店)で調べてみたところ、2017年ではアメリカが1位で全世界の33.9%、ブラジルが2位で32.5%、アルゼンチンが3位で15.6%を占めているそうです。

ちなみに、ブラジルの大豆もほぼ100%が遺伝子組み換えです(※アメリカについてはわかりませんでした。知っている人がいたら、教えてください)。

 

遺伝子組み換え作物というと、イメージだけで、何か体に良くなさそうというイメージが先行していますが、実は自然界において遺伝子組み換えは起こるものだし、現時点で遺伝子組み換え作物が身体に有害な影響を与えた例は聞いたことがないので、食べ物としては現時点では何ら問題はないと、私は考えています。

問題なのは、遺伝子組み換え作物を作っている育種会社と、それを使っている農民たちの支配構造にあるのです。遺伝子組み換え作物を育成する場合には、ほとんどの場合、育種会社から特定の除草剤を毎年大量に購入して散布しなければならない、とか、毎年種を購入しなければいけない(※収穫して取れた種をまいても育たない)などの問題があります。育種会社は毎年儲かり続ける仕組みです。

上述のことは前から知ってはいたのですが、伊藤氏の本にあった下記の記述は初めて知り、驚きました。

「アルゼンチン政府は2016年に、基本栄養バスケット(※日本の生活保護にあたる)の受給者が人口の30.3%に達し、870万人が貧困状態にあると発表しました。地方の中小農民の中で貧困に陥る人が増えています。除草剤の空中散布で健康を害して土地を離れざるを得なくなった人々は、農薬会社や政府を相手取った訴訟を起こし、大規模なデモも相次いでいます」

ここで話が変わります。

最近、人工知能が様々な分野で取り入れられています。農業分野もその例にもれず、効率化が進められています。

AIによる効率化が、遺伝子組み換え作物から、元来の非遺伝子組み換え作物への転換を促すことが、将来的に可能になればいいのでは、と思いました。