セサミ色々日記

雑談に変更

世界を、こんなふうに見てごらん:その2

2012年4月22日(※ああ、もう8年も前なんだ・・・)

「フラット化した世界では、アメリカ人の仕事、日本人の仕事などというものはありません。仕事は誰のものでもなく、最も生産性が高く、最も優秀で、いい結果を出せ、そして、時に最も賃金の安い担い手のところにいくことになります。
(中略)フラットな世界では、“誰かが代わりのできる仕事”と“誰にも代わりのできない仕事”の二つしかありません。簡単にデジタル化したり、自動化したり、外国に移転できる仕事は“代替可能な仕事”なのです」
 「私は1950年代、ミネソタで少年時代を送りましたが、両親はいつも私にこう言いました。『トム、ご飯を残さず食べなさい。インドや中国の人はお腹をすかしているのですから』と。今、私は孫娘たちに言います。『ちゃんと宿題をやりなさい。インドや中国の人は、お前が将来就く仕事をお腹を空かして狙っているんだから』と」
(『フラット化する世界』の著書トーマス・フリードマンへのインタビュー in 『インドの衝撃』)



 以前インドを旅行していたとある日曜日に、私は美味しいマンゴーを買おうと、公園の前にある屋台の果物屋さんに並んでいました。すると通りがかりの50歳前後の男の人にいきなり「お前はアレルギーで肌がちょっと荒れているではないか」と言われ(※まあ、その通りなんですが)、「それにはニームの葉が効く。確かこの公園にニームの木が生えていたから、その葉を食べるといい」と言われ、はい?何事?と思っていたら、「確かあっちの方に生えていたから、仕方がないから一緒に探してあげよう、来い来い」と言われ、いえ私はただ単にマンゴーを買いたいだけなんですけど、と思いつつもその勢いにのまれ、ついていってしまいました。
 しばらくいくと、大きな木を指して「これがニームの木だ。だけどこれはダメだ。若い葉の方がよく効くから、もう少し探そう」と言われ、はいわかりましたと従い、私はマンゴーを買いたかっただけなんですけどと思いつつもそれは言わず、それから一緒に5分位探し、小さめの木を見つけました。
 「生えたばかりの葉がいいんだ」といい、その男の人は葉を数枚むしり取り、自分で食べてみせ、私にも食べろとすすめてくれました。成り行き上、まあいいやと腹をくくり、私も食べました。
 「ニームの効用は色々とあり、そうだ、私の娘はアメリカの製薬会社に勤めていて、私よりも詳しいから彼女に聞くといい」と言い出し、え、え、え、私が聞くの? え、え、何事? 私はマンゴーを買いたかっただけなんですけど、と思っている間に、その男の人は携帯でお嬢さんに電話して簡単に経緯を説明に、私に携帯を手渡したのでした。私は仕方なく、いや、ありがたく、見ず知らずのお嬢さんからニームの効用についての説明を3分ほど受たのですが、『早口でインド訛りの英語をしゃべるお嬢さん+英語の聞き取り能力が貧弱な私』という残念なコラボであったため、ほとんど内容はわからなかったけれど、とりあえず一生懸命お礼だけは言って、電話を終えました。
 その後、ニームおじさんは、「では私はこれからあの木陰で読書をしようと思う。読書に没頭したいので邪魔しないでくれ。では」と言い放ち、私は「はい、もうお手間はとらせません、お邪魔いたしました、ありがとうございました」とお礼を言い、なぜか無理やり渡された、いや、ありがたく頂戴したお嬢さんの名刺と、葉のついたニームの小枝を手にし、マンゴーを買うことなんてすっかりと頭から抜け落ち、すごすごと戻ったのでした。
 あとでネットでニームについて調べてみると、アレルギーに効くかどうかはわかりませんが、確かにニームの葉は生で食べたりお茶にして飲んだりする万能薬で、かつ、害虫を寄せ付けないというグレイトな植物であることがわかりました。

 ところで、話は変わりますが、インドに行ったことのある人は、ほぼ全員、インドという国は本当にきつい、と言います。私は中国やアメリカくらいしか行ったことがないので、多くの国と比べることはできませんが、でも、きついというのはすごくわかる。インドから帰った直後は、正直言って、北○○がミサ○ルを誤発射してイ○ドに落としてくれないかと思ってしまうほどきつい。すっご~く嫌なことが9割位あって、でも残りの1割は、本当にとってもとっても良いことがあり、でもって能天気な私は、時が経つにつれて嫌なことは薄れてしまうんです。

 日本人は謙虚が美徳とされていますが、人口がとんでもなく多いインドでは、謙虚になんてしていたら、あっという間に取り残され餓死しかねないような厳しい環境です。そのせいかどうかわかりませんが、私の知っているインド人は、初対面では、自分を目一杯、これでもか!これでもか!という位に過大評価して自己紹介をします。過大評価と書きましたが、一言でいうと、うその連続です。「インド人は全員うそつきだと思った方がいい」と知合い(日本人)に言われたとき、最初、それは言い過ぎでしょと思いましたが、確かにその通りかも・・・と思ってしまいます。
 また、時間に思いっきりルーズというかなんというか、日本ではよく、「あと5分」とかいいますが、私の知っているインド人は「あと2分」、「あと5分」、「今日中」、「明日」といったことをよく言います。
 「あと2分」と言われたら、早くて10分、遅くて1時間位を意味し、「あと5分」と言われたら、早くて30分、遅くて2~3時間位を意味し、「今日中」と言われたら、今週中位に思っているとちょうどよく、「明日」と言われたら、まあ、そのうち明日はやってくるかもしれないしやってこないかもしれない、という心構えでいるといいのです。

 しかし、ある時、知合いのインド人に、「日本人は冷たく不親切で、嘘つきで、時間に遅いから嫌に思うことがある」と言われ、びっくりしたことがあります。日本人のイメージって、礼儀正しくて優しくて温厚で、時間にきちんとしているのじゃないの?(注:及川は除外してください) そんなこと、インド人に言われたかねーよ!と思いましたが、その後、説明を聞くと、確かにと納得してしまいました。

 私の知合いのインド人は、初めて日本に来て道を聞いたとき、多くの人は教えてくれずに手を左右に振って去っていってしまう、中には近づいただけで逃げていってしまう人もいて、すっごく傷ついたというのです。英語があまりしゃべれない日本人だと、そうなってしまうんだよと答えましたが、だったら英語の話せる人を探して教えてくれればいいじゃないか、少なくともそんな去り方をするなんて、なんて冷たく無礼な国民なんだろうって思った、と言うのです。ちなみにその知合いは日本大好きで、日本をとっても評価してくれている人なんです。だからこそ、率直な意見を言ってくれたのだと思います。
 インドで道を聞いたら、確かにみな、知っている場合は教えてくれるし、わからない場合はそばにいる人達に色々と聞いて教えてくれます。わからなくてもともかくも何かを教えてあげなければならないと考えるらしく、誤った情報ばかりを教えてくれることも少なくありません、っていうか、そういう場合が多いです。それでなくても道に迷っているのが超ドつぼにはまってしまい、もう本当に迷惑!だったら最初からわからないって言ってよ!と思うのですが、インド人に言わせるとそんな失礼なことはできないというのです。親切や不親切、礼儀正しいや無礼のとらえ方は、国や人によって色々なんだなぁと思います。

(※ここからが付け足し分です)

 日本人はよく社交辞令で、お世辞を言ったり、「今度是非遊びにいらしてください」というようなことを言いますよね。これが嘘つきに感じられるそうなのです。しかも、笑顔で感情を隠すので、より薄気味悪く感じられるそうなのです。言われてみれば、確かにその通りかもしれない。日本では礼儀と考えられていることが、他の国にとっては単なるうそに思えちゃうんですね。

 また、日本人は何か物事を決定する時に、その場ですぐに決断することができず、集団や上位の人の意見をうかがってから時間をかけて返答をすることが多いですよね。自分一人でその場でスパッと決めることができないのが、すごく不思議に思うらしんです。また慎重に時間をかけて決断することが、すっごくとろく感じられるらしいのです(※このことは、数人のインド人から言われました)。これも、言われてみればなるほどと納得してしまいました。
 同じ物事でも、側面をちょっと変えると、全然違った風に見えるんだなぁ。

 で、話が変わります。
 来月、セサミで初めて、算数オリンピック大会の予選を開催することができるようになりました。やったぁー! これもひとえに、優秀な生徒さんたちが集まってくれたおかげです。予選突破目指して頑張ろう!オー!! でも、予選にチャレンジするだけでも、すごいことだと思います。
超難関の予選を突破し、さらに日本のトップ50位以内に入れれば、中国に行くことができ、中国のトップ50と対決することができるそうなのです。
 中国行きを目指して皆より奮闘してくれるかな、と思って、このことを言ったら、ほぼ全ての生徒さんから「中国には行きたくない」と言われてしまいました。どうしてかと理由を聞いたら、「中国はドラえもんとかミッキーとかキティちゃんとかの、色んなキャラクターのコピーばかりしている国だからいやだ」と言うのです。
 みんな、テレビの情報だけに洗脳されてしまっているように見えて、ちょっと悲しかったです。もちろん、生徒さん達が悪いのではなくて、そんな番組ばっかり作っている側に問題があるのですが。

 中国のコピーが別にいいとは思わないけど、そんなこと言っている暇があるのだったら、日本の経済発展を少しでもよくするにはどうしたらいいかを考えていった方が、よっぽど建設的じゃないかなぁと思うんです。中国の悪い点ばかり取り上げるのは、中国の発展をねたんでいるようにしか見えなくて、なんか、みっともないなって私は思ってしまうのです。

 そもそも、日本の文字は全て中国のコピーだし、プロ野球チーム名のタイガースやジャイアンツ等は大リーグのパクリだし。 
 ウッディ・アレンが1973年に作成した映画『スリーパー』の中には、「このくそぼろ機械め。日本製だな」と言う場面が出てきます。1970年代前半ではまだ、日本製=粗悪品というイメージだったのですね。日本製のものは品質が高い、と評価されるようになったのは、それほど昔のことではないようです。
 ということは、今は日本製のものは中国製やインド製よりも品質が高いかもしれませんが、あっという間に追い抜かれてしまう可能性は大です。いや、このままだとすぐに追い抜かれちゃうだろうな、って私は考えてます。
 中国が真似してるとか何とか言っている余裕があるのだったら、追い抜かれないようにするために、あるいはそれが無理なら他の分野で抜きん出ることができるように、必死に頑張らなきゃいけないんじゃないの?って私は思ってしまうんです。