セサミ色々日記

雑談に変更

ゲーム理論番外編

 以前書いていたブログの引越しの続きです。
 ここでは全部のブログを引っ越しているわけではなく、特に自分的に思い入れの深いもののみを選んで、移しています。
 今回はゲーム理論に関するものです。自分的には特に気に入ってもいないので削除しますが、この番外編のみは好きなので、ここに移すことにしました。インドネタは、面白いんですね。ではでは。
 
2012年8月15日
 以前、インドのニューデリーに滞在していた時、早朝に公演を散歩していたら、数人の男の人たちが大声で笑う声が聞こえてました。びっくりして何だろうと思って声のする方に近寄ってみたら、30代〜60代位までのインド人の男の人たちが7,8人で輪を作り、目一杯の大声を出しながら、「ワッハッハッ〜〜!」と笑い合っているのです。何事何事?!と思っていると、私の横を散歩していたおじさんもいきなり遠くから参加するように、「ワッハッハッ〜〜!」と言い出しました。その声量が半端でなく大きくて、大声コンテストって感じで。
 で、いきなり参加おじさんに、大声で笑っている理由を聞いてみたら、ヨガをやっているとの答えが返ってきました。
 へ???ヨガ? ヨガって体の一部をむずかしくくねらせてポーズをとったりするもんじゃないの? 頭の周りに?マークをいくつも浮かべている私をみて、いきなり参加おじさんは、「いやいや、大声を出して笑うヨガなんだ、体にいいんだよ、明日から参加してみると良さがわかるよ」と言い、サービス精神旺盛にも大声で笑いながら去っていきました。

 後で調べてみると、確かにヨガの一種で、「ラフターヨガ」と呼ぶそうです。ウィキペディアにはこう説明されています。

  1995年、インドのムンバイに住む内科医の Madan Kataria と妻でヨガの先生である Madhuri Kataria によって「面白くなくても笑っていれば脳は判断しない」という発見から開発された。(中略)
  従来のヨガの呼吸法に「笑い」を取り入れ、年齢や性別や障害にとらわれずできる笑いの体操(笑いの健康法)である。「ヨガ」という名称ではあるが、難しいポーズをとることはない。ラフターヨガのヨガとは、ヨガの呼吸法という意味で、声を出して笑うことによって新しい酸素を体内に取り入れる。ユーモア、ジョークに頼らず、笑いを一つのエクササイズ(運動)としてグループまたは一人で行う。脳は作り笑いと本物の笑いを区別できないと言われているため、作り笑いでも脳に対しては同等の効果があると言われている。アイコンタクトを伴う笑いと、遊び心を促すエクササイズの助けで、セッション開始時の作り笑いは、ほどなく本物の笑いへと変わる。15分 - 20分以上笑い続けることによりリラックスでき、健康効果が得られる。インドの公園で5人から始まり、2010年現在では、世界65か国以上、10,000以上のグループが活動している。


 翌朝、勇気を出して、オレンジ色のダポっとしパジャマみたいな服を着て、白髪交じりの長いヒゲをはやし、痩せていて、穏やかな風貌だけど目はギョロリとしていて、あ〜あんまり上手く書けないけれど、もういかにもヨガの指導者です!って感じの人に、参加させてくださいと頼み込んでみたら、即座にOKが出て、それ以降ちょくちょく参加させてもらえるようになりました。指導料はなしの無料でいいとのことでした、ありがたい。その先生(『グルジー』といいます)はどうやら皆に無料で教えていて、公的機関や大学などの講演会等に呼ばれたときだけ、お金をもらっているようでした。更に、参加して2,3日後に知ったのですが、男性と女性は分かれてやっていて、女性グループは公園の別の場所でもっと短時間、地味にやっていたのですが、どうも大声を出しきれていなくてつまらなそう。
 私は(※一応女性です、はい)、外人だから大目に見てもらえたのか、あるいは性別不能と思われたのか(※いや、それはちょっと悲しい・・・)、ともかく何のお咎めもなかったので、そのまま男性グループで続けさせてもらいました。指導者グルジーや、参加者のマリオおじさん(※スーパーマリオに似ている)やボウイおじさん(※ディヴィッド・ボウイに似ていて格好良い60代)やキンドーおじさん(※マカロニほうれん荘のきんどーさんに似ている、古いですね)などの数人のおじさんたちの手ほどきを受け、見よう見まねで少しずつわかるようになってきました。

 最初はヨガの呼吸法みたいのを行い、次に押し殺した声で笑い、次にだんだん大きな声で笑います。そのあと、一人一人が順番にギャクみたいなことを言って皆を笑わせます。ギャグってもちろんヒンズー語で言わなきゃいけないんですが、私ヒンズー語しゃべれないから、皆が言っていることを適当に真似して大げさなジェスチャーつけて自分でも何を言っているのか訳のわからない言語を発し、多分皆も何を言っているのか全然わからなかったと思うけど、ありがたや、笑ってくれました。
 最後に一列になり、まあ当然私が最後尾で、手を叩きながらヒンズー語のセリフを唱え(※メリトリメリハ、みたいな感じ)、円を描いて歩き、最後にヒンズー語のお祈り(※イタニシャッテハメテナダタ、みたいな感じ)をして終わる、というものでした。もちろん、ヒンズー語のセリフは、見よう見まねではなく聞こう聞き真似で、頑張って唱えました。
 このラフターヨガは、本当に気持ちいいんです。大声を出すってことがこんなに気持ちいいとは知らなかった。日本に戻ってしばらくの間、一人でラフターヨガを公園でやりたい衝動を抑えるのに必死でした。そのうち時間ができたら、インストラクターの資格とって、やろうかなぁ、やりたいなぁ。


 で、いきなり話が飛びますが、後でつながります。
 8月4日付の朝日新聞デジタルの記事で、西原理恵子氏が、いじめについて、こんなことを書いていました。

  うそをついてください。
  まず仮病(けびょう)を使おう。そして学校に行かない勇気を持とう。親に「頭が痛い」とでも言って欠席すればいい。うそは、あなたを守る大事な魔法(まほう)。人を傷つけたり盗んだりするのでなければ、うそって大事よ。これからも、上手(じょうず)にうそついて生きていけばいいんだよ。(中略)
  いくら紛争地帯(ふんそうちたい)でも、年間3万人も死ぬことはそんなにありません。でも、日本ではそれくらいの人々が自殺しています。そう、この国は形を変えた戦場なんです。戦場では子どもも人を殺します。しかも、時には大人より残酷になる。


 これを読んで、日本はインドみたいになったんだなぁって思いました。
 以前、あるインド人に、「インドでは自分を守るためにウソをつくことは、ちっとも悪いことではないんだ、いや、そうする必要があるんだ」と言われたことがあります。インドの人、すみません、決してインドを悪く言っている訳ではないんです。長年に渡るカースト制度がまだまだ現実的に根強く残っているインドの過酷さを、どう書けばいいのだろう。いや、ちょっとインドに行った程度の私には、わかっていることなんて、皆無に等しい、ちょっと感じた程度だけ。ごめんなさい、全然ちゃんと書けない。ただね、インド人の中には、ひたすら真面目に生きていこうとする人たちもいる、私はありがたいことに、そういう人たちにも出会えた。彼ら彼女らはこの過酷なインド社会を、どうやって生き延びてこれたんだろう。

 で、話が元に戻ります。
 ラフターヨガに参加していたある日、私はちょっと落ち込むことがあって、でもそれを悟られないように普通に大声で笑っていました、いや、そのつもりだった。笑いを終えて、さあこれから一列になってヒンズー語を唱えようというときに、私が列の最後尾に並ぼうとすると、その場にいた6,7人のおじさんたちが、何の打ち合わせもなく、すっと、私を列の真ん中に入れてくれたんんです。その後、お祈りを唱え終わるまでの間、ほんの4,5分だけど、彼らは私を守ってくれ元気づけようとしてくれているように、感じられたんです。

 その翌日からは、またそれまで通りに進んでいったのですが。たまに、ふと、毎朝ラフターヨガに参加しているおじさんたちは、どんなことを抱えているのだろう、ってちょっと考えるようになりました。短い期間だったので、私には知ることなど到底できなかったけれど、もしかしたら皆、明るい笑顔をして大声で笑い合って、色んなことを吹き飛ばして、日々過ごしていたのかもしれない、わからない。

 これからゲーム理論について書いていきます。社会的な様々な戦略を練ったり、あるいは人間関係を改善するためのツールとして、ゲーム理論は役立つと思います。テクニックとして上手く使えば、とっても有用なものだと思います。
 でも、その一方で、ちょっとだけ、あのおじさんたちの大声の笑顔の前ではゲーム理論なんて吹き飛んでいってしまうだろうなって気もしているんです。