ポケットの中の世界と日常生活の冒険
高校生のとき、国語の模試で大江健三郎氏の文章が出てきた。タイトル等はまったくわからないのだけど、馬が走っている様子を描写したもので、非常に印象的な文章だったので、大学に入ったら大江健三郎氏の本を読もう!と思った。『万延元年のフットボール』などとても面白かったけど、私が読んだのは30年以上前なので、どうか詳しいことは聞かないで・・・自分で読んでください。そもそも大江健三郎って誰?というと、1994年ノーベル文学賞を受賞した人です。知っておこう。で、その大江健三郎氏の『日常生活の冒険』というタイトルの小説があります。タイトルを見て、すっごくワクワクして買ったのですが、よくわかならいや、という感想を抱いたことを覚えています。
今回紹介したい本は『日常生活の冒険』ではなくて、統計の本です。イギリスのEconomistが出版した『Pocket World in Figures 2020』です。2020年の翻訳は出ていませんが、2019年の翻訳は『The Economist世界統計年鑑2019』として出版されています。数学とプログラミングの問題の材料(?)として、統計の本を今色々と読んでいて、それが面白して面白くて。ちょっとした『日常生活の冒険』を味わえる気分です。ただの統計を眺めるだけで、色んなことを考えてしまいます。
最近、将来なりたいこととか特にない、特に興味を持つものがない、という人が多いのですが、将来のことはともかくとして、統計を読んで気になったこととか調べてみたらどうでしょうか?
というわけで、しばらくは統計の本を紹介していきます。今回の『Pocket World in Figures 2020』はその1冊目です。
この本は、①地理と人口、②ビジネスと経済、③政治と社会、④健康と幸福の5つの章において、色々なテーマで世界統計をまとめています。それぞれの章において、面白いなぁと思った一例を挙げますと、
①地理と人口:人口が多い国
・2017年では1位中国、2位インド、3位アメリカ、4位インドネシア、5位ブラジル、11位日本
日本の人口は結構多いですね。で、20年後はどうなると思いますか?予測では
・2020年では1位インド、2位中国、3位アメリカ、4位ナイジェリア、5位インドネシア、15位日本
となります。インド、中国が多いのは知っていましたが、ナイジェリアが伸びてくるのですね。将来ビジネスを考える人は、インド・中国・インドネシアをターゲットにするといいかもしれませんよ!
②ビジネスと経済
これは最後のお楽しみ!
③政治と社会:二酸化炭素排出量:2015年(※これよりも新しいデータは載っていないのです・・・)
1位中国、2位アメリカ、3位インド、4位ロシア、5位日本
①と③から、1人当たりの二酸化炭素排出量を私は計算してみたのですが、
1位アメリカ、2位日本、3位中国、となります。日本ダメですね!皆さん、改善策を考えていきましょう。
④健康と幸福:平均寿命
平均寿命は日本が1位かなと思っていたのですが、違っていて、
1位モナコ89.4才、2位香港84.9才、3位マカオ84.8才、4位日本84.7才、5位スイス84.3才、でした。で、これを男女別にわかると、面白い結果となります。
平均寿命は女性の方が高くて、1位モナコ(なんと93.4才!)、2位が日本と香港で87.9才でした。ちなみに男性の平均寿命は
1位モナコ、2位アイスランド、3位スイス、4位オーストラリア、5位シンガポールで、日本は13位81.4才でした。といっても、80まで生きられれば十分じゃないでしょうか。
最後に、とっておいた②ビジネスと経済で、2018年の物価上昇率です。
2位が南スーダンで183.5%、3位がスーダンで163.3%、4位がイエメンで134.4%、5位がアルゼンチンで134.3%です。
ではここで、問題です。2018年において、物価上昇率が1位の国はどこでしょうか?また、上昇率は昨年度と比較して何倍になったでしょうか?
これについては、次回に書きます。
思考を助ける『ラクガキ』
公立の小学校では、筆算をするときに定規を使わないと、怒られることがあるそうです。中学ではノート提出がある学校もあり、だいたい、きれいな字で、きれいにきちんと書いてあるノートが評価されるようです。
黒板に書かれたことをきちんと丁寧に写して、きれいなノートができると、満足感は得られるかもしれないけれど、頭全然使ってないんですよね。だから、学校のノートのとり方と、自分で考えるときのノートの取り方は、分けてほしいな、って思うんです。
ノートを汚く書けとはいわないけれど、ノートをきれいに書くことに尽力して、全然思考力使ってないというパターンが、特に女子に多く見られます。そんなときには、きれいに書かないで!ということもあります。
また、計算や筆算はテキストにきたなく書き込んで、答えだけをノートにきちんと書く、という行為も、小学生などにたまに見られます。なぜ、問題集に汚く筆算を書くの? それもなぜ問題文や図に重ねて書くの? ノートにきちんと答えだけ書いたって意味ないでしょ? 自分の考えた課程や計算の方が重要でしょ?というのですが、おそらく学校で、答えをきちんと書きなさいと教わっているからなのでしょう。
重要なことは、答えではなく、答えを導く思考過程なのです。
セサミの生徒さんたちには、まずは、筆算には定規を使わないでほしいとたのみます。また、図やグラフは手描きで大きくかいてもらうようにしています。
手で図を描くことで、図をきちんと認識できるし、大きく描くことで、書き込みがしやすくなり、自分で考えやすくなるからです。
手書きで図を描くのは、最初は難しいけれど、だんだん慣れてきます。きちんときれいに描く必要はなく、自分で見やすく考えやすく書き込みやすくすることが重要なのだと考えています。
でも、その論拠は?
自分でやってて、その方が考えやすいからなのですが、それをきちんと説明してくれる本がありました。
サニー・ブラウン著『描きながら考える力』という本です。
副題が『ラクガキのパワーが思考とビジネスを変える!』という副題が付いていて、大人向けの本ですが、子どもにも十分当てはまると思います。
ラクガキといっても、う○ことかをいたずら書きすることではありません、
私はたまに、本を読んで思いついたことがあると、裏表紙などに思いついたことをランダムに書き連ね、関連することを線でつないだりするのですが、これなどは『ラクガキ(doodle)』に相当するのかもしれません。
この本では、『いたずら書きscribble』と『スケッチsketch』と『絵drawing』と『ラクガキdoodle』を区別して説明しています。
・いたずら書き(scribble):紙からほとんどペンを放さず無作為に描かれた、わけのわからない線。目と手の発達時期にある子どもがよく描く。
・スケッチ(sketch):素早く、粗く描かれた絵。
・絵(drawing):概してわかりやすく、物や形を視覚的に表現したもの。
・ラクガキ(doodle):思考を助けるためい、自由に描く目印
そして、ラクガキの恩恵として、以下のような例が挙げられています(※会社などの組織における効用は、ここでは関係ないので、省略してあります)
◇POWER:パワー・認識
・心の拡張・理解
・情報の保持・呼び起こし
・情報の理解
・洞察を深める
・創造力の向上
◇PLEASURE:プレジャー(楽しみ)
・集中
・リラックス
・可能性
学校のノートに『ラクガキ』を描いたら怒られる可能性があるので、学校以外のノートには、是非、図やグラフや線分図などを大きく描き、考えたことを書き込んでいって、情報の理解・洞察力や創造力を高め、集中力を身に付けていきましょう!
また、低学年のうちは、文字の大きさをきちんとそろえてしますが、文字の大きさがある程度そろってきたら、無地のノートに自由に書いていったほうがいいかもしれません。
描きながら考える力 ~The Doodle Revolution~
- 作者:サニー・ブラウン Sunni Brown
- 出版社/メーカー: クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
- 発売日: 2015/01/16
- メディア: 大型本
あと、一応、私の本も宣伝させてください。
Pythonとはプログラミング言語の一つで、人工知能や機械学習・データ分析などによく使われています。世界的にはもっとも学ぶべきプログラミング言語の1位に挙げられています。
ソフトバンクの孫正義氏が『日本来牛尾は『(物体としての』モノを作らないと立派な企業ではない』という思い込みによって情報革命に後ろ向きになり、AI開発競争でも蚊帳の外になった』と言っているように、日本はAI後進国です。それを脱出するためにも、どうか若い人たちに、Pythonを学んでほしいと思います。
女王と鏡と機械学習
【1】
①エンジニア ②経営者 ③☆☆ ④☆☆ ⑤ものづくりエンジニア ⑥公務員 ⑦☆☆ ⑧教師 ⑨会社員 ⑩科学者・研究者
【2】
①スポーツ選手 ②警察官 ③職人 ④運転士・運転手 ⑤☆☆ ⑥☆☆ ⑦消防士 ⑧パン・ケーキ屋、お菓子屋 ⑨パイロット ⑩会社員
【3】
①野球選手・監督 ②☆☆ ③医師 ④☆☆ ⑤会社員・事務員 ⑥☆☆ ⑦建築士 ⑧教師 ⑨バスケットボール選手・コーチ ⑩科学者・研究者
【4】
①エンジニア ②プロ野球選手 ③サラリーマン ④パイロット ⑤☆☆ ⑥医者 ⑦☆☆ ⑧科学者 ⑨建築設計士 ⑩マンガ家
上記は、1970年、2000年、2019年の小学生男子と、2019年の高校生男子がが将来なりたい職業をランキングしたものです。【1】~【4】のどれがどの年代のものかわかりますか? 考えてみてください!ちなみに、時代がばれそうなものは、☆☆としました。
【1】は2019年高校生男子で、③ユーチューバー ④ゲームクリエーター ⑦eスポーツプレーヤーです。
【2】は2000年小学生男子で、⑤自営業 ⑥おもちゃ屋です。
【3】は2019年小学生男子で、②サッカー選手・監督 ④ゲームクリエーター ⑥ユーチューバーです。
【4】は1970年で、⑤電気技師 ⑦自家営業です。
おもしろいなぁと思ったのは、2000年にはなかったのに2019年と1970年には科学者やエンジニアがあることです。ただ、理由が異なるような
1969年にはアメリカのアポロ計画により、人類がはじめて月に到着したとされています(※捏造説あり)。また1970年には大阪で万国博覧会が開かれ、科学によって未来は発展していくという希望に満ちていたように思います。
それに対して現在は、人工知能AIの発展などにより、現在の職業の65%が10年後、20年後にはなくなるという説も出ていて、希望の有無はともかく、大きく時代が変わっていくという時期にさしかかっているのだと思います。
学校でも人工知能AIとか機械学習とかディープラーニングとは何なのか、どのようなしくみなのか、どのように応用するのかなど、もっと教えたほうがいいのになと個人的には思います。道徳教育を導入するよりも、これらを教えた方がずっと実用性が高いだろうに。
でも、機械学習とかディープラーニングとか言われても、難しそうで困ってしまう・・・と思う方もいるかもしれません。かくいう私も、ざっくりとはわかるけど、詳しくはあまりよくわからない、すみませんです、という状況でした。
今ぼちぼちとそこらへんを勉強しているのですが、機械学習については大関真之氏の『機械学習入門:ボルツマン機械学習から深層学習まで』が一番わかりやすくて面白いです。論理的に考えることができる小学生ならば、きちんと理解できます。
ここで話が変わります。
白雪姫(7人の小人がでてくるお話)で、意地悪な女王が『鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?』と鏡に聞いていましたよね。鏡は、いつもは『女王様、あなたです』と答えていたのに、あるときから『白雪姫が一番美しいです』と答えるようになり、女王がキーと怒る!というお話です。
で、先の機械学習の本は、このお話を土台として、鏡と女王との会話で、機械学習を説明しているのです。1時間くらいでスラスラと読めて、面白いですよ。グラフや図はあるけれど、数式とかはないので、誰でもざっくりと全体像がつかめると思います。
皆さんは、将来的な不確実性が高い時代に生まれていて、大変と言えば大変ですが、逆に色々なチャンスが転がっていて面白いともいえます。
楽しみながら、必要なことを大いに学んでいってください!
あと、宣伝です。
プログラミング超初心者に朗報!
プログラミングの知識が全くなくても、人工知能や機械学習でよく用いられるプログラミング言語Pythonが学べてしまう『Python超入門:モンティと学ぶはじめてのプログラミング』もよろしくお願いします!
※p.s.
上記とは関係ないのですが
・この研究所と関係のあったハーバード大教授がアメリカで先月末に逮捕されたこと
を考えると、ちょっとこわくなってきたので、あわててマスク買いました。
皆さんも今は、あまり人ごみには外出しないでください。
ブログ引越し③:まぁちゃんと町田の人々
うちには3人(※3匹)のネコがいます。
1人はえりぼんちゃん。現在、ネコ兼天使として活躍中!
2人は真亜子ちゃん(通称まあちゃん)と空海ちゃん(通称くうちゃん)。親子です。2人も元気で活躍中!
以下のブログは、まあちゃんがうちに来て間もないころの話です。全部実話です。なつかしい。
町田の治安についてですが、セサミ近辺は、人通りも多いので、全然大丈夫です。私は夜中の1時過ぎでも平気で歩けます。セサミ近辺は塾密集地帯なので、大丈夫ですよ、ホントに。ではでは。
2014年10月28日:まあちゃんと町田の人々:前半
大阪市の条例施行により、道頓堀での客引きの姿が激減したそうです。
私は大阪には行ったことないのだけれど、町田もすごい。
夜に、セサミから徒歩3分で駅まで向かうと、「キャバクラどう?」とか「いい娘がいるよ」とか、十人以上の客引きに出会うし(※私は声かけられないけど)。
土曜や日曜の朝には、夜通し飲み明かした、ガラの悪そうな酔っ払いに出会うし。喧嘩して血だらけになった人が道端に倒れてるし。セサミのすぐそばでも喧嘩があって警察沙汰になってたし。セサミのビルに数名おまわりさんがやってきたし(※こんなこと書いてよいのだろうか・・・?いや、よくない)
更に、以前ブログでも書いたように、セサミのそばには脱法ハーブや大麻を売ってる店も数件あるみたいだし。
先日、地図で調べて川沿いを走ろうと<思ってヨドバシカメラの方の川沿いの道に出たら、「売春禁止」の立て看板がいっぱい立ってるし。近くにホテルがたくさんあって、どうも売春が盛んな地帯らしい・・・。町田は別名「西の歌舞伎町」と言われているらしいし。
セサミのある原町田地区ではひったくり等の犯罪も多発しているらしいし・・・。
すごいっすね、町田。なんで私はこんなところで塾やってんだろう?
ここで話が飛びます。
以前にも書きましたが、今春、元野良猫のまあちゃんがうちで9匹の子猫を産みました。1匹以外無事里親さんが見つかり、生後2か月経ったころ、里親さんのところに届けていきました。
まあちゃんに、「この子たちはみんな、良い里親さんが見つかったから、全然心配しなくて大丈夫なんだよ」と伝えられるものならば伝えたいのですが、猫なので人間の言葉が通じません。毎日1匹ずつ子猫が消えていき、ナーバスになっていたまあちゃんは、ある朝、うちの窓から脱走を試み、着地に失敗して、びっこを引いて戻ってきました。
骨折してたらどうしようと思って、近所の獣医さんがダメだったので、タクシーで町田の獣医さんに連れていきました。骨折はしていなくて良かったあ。その後タクシーに乗ってまあちゃんを家まで運び、それからまたセサミに行って授業!と考えながら、西友側の町田駅前のタクシー乗り場の1、2m前まで歩いていたところ、キャリーバックをきちんと閉めてなかったらしく、扉が開いてまあちゃんが道路に逃げ出してしまいました。ぎょえ〜〜〜!!!私は荷物を放ってまあちゃんを追いかけました。まあちゃんはお店とか駐車場が密集しているごちゃごちゃした場所に向かって走り出しました。
バッグの中の財布には、お金もカードも免許証もいろいろ入っているけど、今バッグを取りにいったらまあちゃんを見失ってしまう、そしたらこの繁華街で見つけることは99.9%不可能。ここでまあちゃんと別れたら私は一生後悔すると思い、荷物を道端に放り出したまま私は「まあちゃん~~~」と叫びながら必死で追いかけました。
数十メートル進んで見失ってしまい、どうしようと思っていたら、たまたまそばを通り私の大声を聞きつけた学生さんたちが、私の知らないところで手分けして探してくれていて、私がいたのとは別方向にあるホテル・ヴィラの前の木の上にいるのを発見してくれて知らせに来てくださいました。ありがとうございます。
パニックになったまあちゃんは、木に高く登りすぎて下りてこれず、固まったままでした。たまたま通りかかったセブン・イレブンの方が見張って下さり、私はダメ元でバッグを取りにタクシー乗り場付近にいきました。道の上には何にもなくて、ああバッグごと盗まれたかと思ったら、「セモリナ」というパスタ屋さん(※もちもちして美味しくて有名!)の方がバッグを保管して下さっていて、お店の入口に「カバン預かっています」という張り紙までしていて下さいました。ありがとうございます。おかげ様で私は何一つ、紛失せずに済みました。
その後、近くのペットサロン「プチ・シャンポ」にキャリーバッグを買いにいったら、売り物はないとのことで、お店で使用しているバッグを快く無料で貸して下さいました。ありがとうございます。
キャリーバッグを用意し、ホテルの木の下でどうしようかと悩んでいたら、ホテル内のジュエリーショップのお姉さんや、通りすがりの大学生の人達が、心配して色々な案を考えて下さりました。ありがとうございます。近くの美容室(※店名がわからず、申し訳ありません)の男性の美容師さんたち3名が、木に登ってくれると名乗り出て下さいました。ありがとうございます。
木に登って折れたりしたら危ないので、結局皆さんと話し合った結果、ダメ元で消防車の方に援助を申し出てみることになりました。私の不注意のせいで、本当に大迷惑で申し訳なさで一杯だったのですが、他に手はなかったので、電話で状況を説明したところ、快く引き受けてくださり、3人の消防士の方がいらして下さいました。ありがとうございます。
で、まだ続きがあるのですが、長いのでまた明日。作り話みたいなんですが、全部、本当の話です。
2014年10月30日:まあちゃんと町田の人々:後半
今日は帰りそびれてしまったので、セサミに泊まってます。長期間ためていた報告書の一部を作成し、ちょっと疲れたので気分転換に書いてます。
先ほどコンビニまで出かけたのですが、ハローウィンが近いせいか、今夜の町田は、客引きの人たちが、ミイラとかジェイソンとかホラーな恰好をしていて、不思議な雰囲気でとても面白かったです。
で、前回の続きです。
消防士の方々は大きな網を持参してくださいました。1人は木に上って猫のまあちゃんを追い詰め、もう1人はそのすぐ下で網を持ってまあちゃんを捕え、もう1人は木の下で待機する、という作戦が開始されました。
動物を捕まえることが専門ではないので、失敗する可能性もあるのでその点は了承してほしい、と消防士の方に言われました。もちろんです。消防士の方々は、日々、火事などの災害にあった人を救助するための訓練を行っているのであって、今回来ていただけただけでもありがたさで一杯です。
で、作戦が実行されたのですが、運動神経の良いまあちゃんは、きっちりと網を避けて地面に着地し、猛ダッシュで駅の方へと向かいました、あああああ。
何が何でもまあちゃんを捕まえると思った私は、サンダルを脱ぎ捨て、裸足で追いかけました。しばらく行くと、バリ料理のお店「南風」の前で、まあちゃんが猫座りをして、私を待っていてくれました。ふ~、よかったよかったと思ったのもつかの間、通りすがりのおじさんがやってきて、「猫って首をつかむといいんだよ」とか余計なことを言いだし、まあちゃんの首をつかもうとしました。
私は心の中で「ぶたくそじじー!」と叫びました。まあちゃんはおじさんが手を出してきたので、逃げようとしました。私はすかさずまあちゃんを捕まえ、バリ料理屋さんのお店の前にあった水ガメの水中にまあちゃんを沈めました。これで逃げられない。
猫は元来、水に濡れることが大嫌いなので、まあちゃんは私の手や腕を思いっきり噛みつき始めました。
猫が肉食獣だってことを、その時私は初めて実感しました。犬歯で何度も噛まれまくって、「痛~い、痛~い!」と大声を上げてしまいました。しかしここで手放したら、今までの苦労も多くの方々の協力も水の泡になってしまうので、絶対手放すまいと思い、両腕をガチガチに噛まれながらも私は大声で「キャリーバッグを持ってきてください!!!」と叫び続けました。しばらくすると誰かが(※誰だったか覚えてない)バッグを運んで下さり、無事まあちゃんをバッグの中に閉じ込めることができました。
私は両手が血だらけで、安堵感もあり、(しかもその日は途中で大きな仕事もあったので)、しばらく倒れて起き上がれなくなってしまいました。(※南風のお店には多大なるご迷惑をかけてしまったのにも関わらず、全然構いませんといった優しい対応をしてくださり、本当に感謝しています、ありがとうございます。再度挨拶に伺います!)
しばらくしたら救急車が来て下さり、中で応急手当を受けました。ありがとうございます。時計を見ると6時をちょっと過ぎていて、やばい生徒さんが来てしまう今日はバイトの人がいない!と思って、救急車を下りて、まあちゃんをペットサロンに預け、セサミに向かいました。
セサミの前では、北区から通ってくれているY君が不安げな顔で待っていてくれました。その後1時間授業をして、やっぱり手がやばそうなので生徒さんに謝って帰ってもらい、まあちゃんを迎えてタクシーで家に行き、その後病院へ行って手当をしてもらいました、ふ~~~。
(※注;授業中に包帯から血が出て止まらなくなって、夜遅く空いている病院に行って手当てをしてもらいました。包帯ぐるぐるぐる巻き状態になりました)
いつもうちに帰ると、まあちゃんと子猫のくうちゃんが玄関先で出迎えてくれます。可愛いまあちゃんの姿を見るたびに、まあちゃんと一緒に暮らせていることは、本当に奇跡だなって思います。
町田という町は、ごちゃごちゃしていて治安も悪いけど、でも、何だか、とってもあったかいなって思います。
ブログ引越し②:トラルファマドールをぶっ飛ばせ!
今更ですが、新年明けましておめでとうございます。今年は新年のごあいさつがきちんと書けなかったので、それに代えて、昔のブログを載せます。8年も前のものだけど、基本的な姿勢は変わってないと思う、多分。ていうか、あまり進歩ないのかな・・・。いやいや、今年はセサミチャレンジ開催、頑張りマス。ではでは。
2011年12月31日:2012年のごあいさつ:その①:シュレディンガーのアメーバ
では、なにが重要に思えるのか?
運命と真剣に取り組むことである。
(カート・ヴォネガット『スラップスティック』より)
カート・ヴォネガットというアメリカの作家の『スローターハウス5』という小説に、トラルファマドール星人という異星人が出てきます。
この異星人は4次元的な視覚を持ち、「彼らの眼には、人間は長大なヤスデ―「一端に赤んぼうの足があり、他端に老人の足がある」ヤスデのように見える」そうです。
3次元的な視覚しか持たない地球人は、現在の姿しか見ることができませんが、トラルファマドール星人の眼には、赤ちゃんから老人までの一生の姿が、お正月に上げられるムカデ凧みたいに、ずらずらと連なって見えるそうです。
「あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのである。たとえばトラルファマドール星人は、ちょうどわれわれがロッキー山脈をながめると同じように、あらゆる異なる瞬間を一望のうちにおさめることができる。彼らにとっては、あらゆる瞬間が不滅であり、彼らはそのひとつひとつを興味のおもむくままにとりだし、ながめることができるのである。一瞬一瞬は数珠のように画一的につながったもので、いったん過ぎ去った瞬間は二度ともどってこないという、われわれ地球人の現実認識は錯覚にすぎない。」
ということは、トラルファマドール星人には、私の過去の姿はもちろんのこと、未来の姿もすべてわかってしまっていえることになり、未来は超越的存在によってあらかじめ定められているという宿命論に従うことになりますよね。
宿命論といえば、4年ほど前、私は、知合いの占い師Gさんに、「50歳になったら良いことがあるよ」と言われました。
私は占いなんて信じてませんでした。だって、さそり座の人が全員、毎日同じ運勢を辿るなんて、どう考えたって変でしょ。たまたま引いた紙切れや棒で(※おみくじのことです)、私の何がわかるっていうの? 手のしわなんかで、運命が決められてたまるか、けっ!と思いながらずっと生きてきました。
ところが、Gさんは、占い師といってもタロットや水晶や手相や、そういった物は何も使いません。誰かが普通に「占ってちょうだい」って頼んでも、相手にせず、にこにこ笑っているだけです。
しかし、ある時、私の知人が、仕事のため車で出かけようとしていた時に、「絶対そっちの方面には行くな。事故に遭ってしまう。どうしても行くのだったら、絶対右側のシートには座るな、死にたくなかったら左側に座れ」みたいなことを、Gさんから突然電話で言われたそうなんです。で、その人は結局車で出かけたのですが、別の車に追突され、右側に座っていたらやばかったけど、左側に座っていたために大怪我で済んだのです。
信じられないけど、Gさんはそういうことを時々言って当ててしまうんです。騙されてる訳じゃなくて本当に。Gさんのもとには、ちょくちょく、お偉いさんみたいな人達がひっそりと相談に来るそうです。
それでも、頑固な私は通常だったら、そんなこと偶然に決まってるよ、と信じなかったと思います。が、たまたま当時、個人的に結構きついことがあり、気持ちが弱っていたので、ちょこっと信じてしまいました。
で、私は、「50歳まで待つのなんてやだ! 占いやり直し! 長くても2年後位までの間に良いことがあるようにしてくれなきゃダメ!」と詰め寄ったのですが、彼は最後まで「50歳になったら良いことがある」の一点張りでした。えーー、だったら50歳までの数年間、私はどう過ごせばいいいの?
ところで、Gさんの占いが本当かどうかの真偽はさておき、もし本当だと仮定した場合、未来は決まっていることになるのでしょうか? 事故で大怪我をした知人の例で考えてみると、彼の未来は、右側に座った場合と左側に座った場合の、2通りがあることになりますよね。ということは、現時点において未来は決定しておらず、選択の余地があることになります。
2か月程前、中1の生徒さんが、量子力学の『シュレディンガーの猫』の仮想実験について質問をしてきたのですが、これにちょっと似ているなって思いました。椎木一夫氏の『シュレ猫と探索する量子力学の世界』という本に、わかりやすい説明が載っていたので、これを引用させてください。ただ、私は猫が大好きで、猫を例にされると辛くなってしまうので、猫の代わりにアメーバ(※なんじゃ、そりゃ?)を代入して書かせてください。
まず、中身が見えない大きな箱を用意します。次に、この中に、放射線を出す物質、たとえばラジウムのような物質と、放射能を検出するガイガー計数管のような検知器を入れます。ここで、1時間たったときに放射線が出る確率は1/2であるとしましょう。(中略)
なお、検知器が放射能を検出すると、金づちが青酸カリの入ったビンをたたき割るようにしておきます。ビンから出てくる青酸ガスの量は一瞬でアメーバを殺すのに十分な量です。
最後にアメーバを入れて箱のふたをします。1時間たったときに、このアメーバは死んでいるか生きているか、どうでしょうか。1時間たってふたを開けてみれば、答えはわかります。10000回実験を繰り返せば、生きているのは半分の約5000回で、死んでいるのは残りの半分です。
ここで、シュレディンガーが問題にしたのは、1時間たって、ふたを開ける直前のアメーバの状態です。ボーアたちの解釈にしたがえば、この状態は、アメーバが生きている状態と死んでいる状態が重ね合わせられた状態です。ふたを開けた瞬間に、生きているか、死んでいるか、どちらかの状態に「波束の収縮」が起こり、どちらかに決まることになります。しかし、アメーバは生きているか、死んでいるか、どちらかの状態のはずで、「半死半生」の状態なんて、あり得ません。これがシュレディンガーが問題にしたところです。
この問題に対する明確な解答はまだ出ていないそうです。分かった人は、教えてください。(つづく)
【参考文献】
・カート・ヴォネガット著、浅倉久志訳
『スラップスティック』早川書房、1983
・カート・ヴォネガット著、伊藤典夫訳
『スローターハウス5』早川書房、1991(第14版)
・椎木一夫著『シュレ猫と探索する量子力学の世界』
日本実業出版社、2003
2012年1月1日:2012年のごあいさつ:その②:トラルファマドールをぶっ飛ばせ!
踏み出すその一歩が君が下すジャッジさ
歩幅なんかは気にしないでいい
ぶっ飛ばすから(中略)
情熱の羅針盤は 未来をいつも指している
ほつれる蜘蛛の糸
切れそうでも つたって行く
情熱の羅針盤は 君の胸にはありますか?
その針震えて
クルっと廻って未来を指す
ASIAN KUNG-FU GENERATION 『羅針盤』 作詞:後藤正文
昨年の11月末で、セサミ数学スクールは、無事1周年を迎えることができました。ありがとうございます。1周年記念イベントの江の島遠足には、総勢17名も集まってくれました。本当にありがとうございました。
昨年末、町田市の商工会議所に相談の電話をしたところ、商工会議所の方が、わざわざ当スクールを訪ねてきてくださいました。このスクールの住所を聞いて驚いたそうです。大手でもない、大手の傘下に入っているわけでもない、チェーンでもない、コネも後ろ盾も実績も何にもない、ゼロから出発した塾が、駅近くの塾の超激戦区で、1年以上も続けられるなんてすごい、とおっしゃってくださいました。
うれしかったです。もしも私が犬だったら、ちぎれんばかりにしっぽを振りまわし、教室中を跳び回っていたと思います。
これもひとえに、人間のできたすごい生徒さん達が集まってくれたおかげです。1年前の今日には、算数オリンピッククラスや、先取クラスが開講できているとは、夢にも思いませんでした。生徒さん達の能力に応じて、セサミが発展してしまったという感じです。本当にありがたく思います。
また、個性的で賢く信頼のおける講師達にも恵まれ、何とかここまでやってくることができました。どんな毒舌を言われようとも(約1名)、メキシコまでUFOを追っかけて行ってしまっても(約2名)、感謝してます。
人身事故で電車が遅れ、たまたま携帯を持ってなくて連絡ができず、教室に着くのが30分遅くなっただけで、拉致・誘拐・殺人未遂(?)事件と勘違いしてくれ、わざわざ交番まで届け出に行ってくれて、ありがとう。笑いが止まりませんでした。一杯感謝してます。
私はあまり賢くありません。社会人としての風格も落ち着きも品格もマナーもなく、代わりに、抜け目やそつや手抜かりなら、目一杯あります、しくしく。常識にも欠けている気が、ちょっとします。しかし、それらを逆手にこれからも、今までになかったようなスクールを目指して、進んで行きたいです。
Gさんが、50歳になったら良いことがある、って言ってくれたのは、50歳になるまでは、何が何でもこのスクールを続けていくように、というメッセージだと勝手に解釈することにしました。
未来はどうなっているか、という説をいくら持ち出したって、結局のところ、少なくとも私には、現時点しか感知できないのだから、現時点で頑張るしかないんだ。
現時点での一歩一歩の歩みが、未来へのベクトルを作り上げていくのだと、私は信じている。
いや、未来だけじゃない、過去すらも作り上げていけると思う。過去の事実は変えられないけれど、過去の持つ意味合いは、現時点及びこの先の己の行為によって、いかようにも変えていけると、私は信じている。
トラルファマドール星なんてぶっ飛ばしちゃえばいい。トラルファマドール星人の見るムカデ凧の姿なんて、吹き飛ばしちゃえばいい。
様々な生徒さんたちの、現時点のみの姿を眼の前にして、私は未来を夢見る。
セサミ数学スクールで学んだことが、生徒さん達の各々の輝く未来を作り上げるベクトルに、少しでも役立つことができるのならば、これに勝る喜びはありません。
今年もどうかよろしくお願いいたします。
セサミ数学スクール 及川えり子
ブログ引越し①:夜空の星はどんな色?
以前、FC2に8年間にわたり書いてきたブログのパスワードを忘れてしまいました。今はPCで自動的にログインできるからいいのですが、もうすぐPCを買い換えるので、そうすると一切いじることができなくなってしまいます。
そこで、ブログの一部を少しずつこちらに引越しさせることにしました。アマルティア・センに関する文などは、自分自身でも思い入れがあるので、保存したくなったためです。
今回のブログは2012年1月25日に書いたものです。『ファクトフルネス』を論じる上で、一部参考になることがあるので、載せることにしました。
税務処理が無事終わったら、『ファクトフルネス』の続きを書きます。
2012年1月25日:『夜空の色はどんな色?:臨床と言葉』より
「わたしには他人の痛みというのがどうしても分からないんです・・・。」わたしはこういう率直な発言が好きだ。(中略)
まず、分かる、理解するというのは、感情の一致、意見の一致をみるということではないということ。むしろ同じことに直面しても、ああこのひとはこんなふうに感じるのかというように、自他のあいだの差異を深く、そして微細に思い知らされることだということ。言いかえると、他人の想いにふれて、それを自分の理解の枠におさめようとしないということ。そのことで人は他者としての他者の存在にはじめて接することになる。(中略)
理解するとは、合意とか合一といった到着点をめがけるものではなく、分からないままに身をさらしあう果てしのないプロセスなのではないかとおもえてくる。一致よりも不一致、伝達よりも伝達不能、それを思い知ることこそが、理解においては重要な意味をもつ、と。(中略)
他者を理解するということのうちには、他者の想いにふれ、それを受け入れることで、自己のうちで何かが変わる、これまでとは違ったふうにじぶんを感じられるようになるという出来事が起こるということが含まれているのだとおもう。
結局、じぶんとの関係がどうこうということを離れて、自分が言ったことが承認されるかされないかは別にして、それでもじぶんのことを分かろうと相手がじぶんに関心をもちつづけていてくれることを相手のことばやふるまいのうちに確認できたとき、ひとは「分かってもらえた」と感じるのだろう。
(河合隼雄・鷲田清一著『臨床とことば』2010、朝日文庫より)
インド人の友人ファニちゃん(27歳の女の子)と、以前、星の絵の話をしていました。私が、「星は金色や銀色で描くでしょ」と言ったら、ファニちゃんが驚いた顔をして、「え、星は青色で描くんじゃないの?」と答えてきました。
確かに、理科では、星の色は温度が高くなるにつれ、赤⇒オレンジ⇒黄色⇒白⇒青色と変化していくと習いますが、幼稚園や小学校の時は私は金色や銀色で描いてました。確か私だけでなく、周りの皆もそうだった気がするのだけど・・・(※ちょっと自信がなくなってきた)。
というようなことをファニちゃんに伝えたら、彼女は今まで、星は青色でしか描いたことがないというのです。そして逆に「月は何色で描くの? 太陽は何色で描くの?」と聞いてきました。私が、月は黄色で、太陽は赤色かオレンジ色、たまに黄色で描く人もいる、と答えると、「あ~、それは同じだ、良かった良かった」と安心していました。
国によって、又は、人によって、星を何色で描くのか違ってくるのかもね、面白いね、機会があったら色んな人に聞いてみたいね、と2人で話しました。
ファニちゃんとは、年齢も20歳近く離れているし、育った国も環境も全然違うけど、一緒に話をしていると、とっても楽しくて、妙に安心するんです。なんとなく気の合うところがあるからなのだけど、それだけではない気がして、何故だろう?って考えてみました。
多分だけど、お互いに異なる人間でなので、価値観が違っていて当然、という出発点から、コミュニケーションを取ろうとしているからじゃないかなぁ。だから、違っている点があっても、そんな風に行動するんだ、そんな風に考えるんだって、興味深く思えるし、逆に、同じような点があると、それがとっても貴重なことに思えて、うれしく思えるし。価値観を揃える必要もなく、互いの考えを尊重しつつ話ができることが、私に心に安らぎを与えてくれるんだと思います。
ところで、話は変わりますが、センの本を読んで、アイデンティティと帰属意識について考えていたら、人はどうして大きな集団に帰属すると安心感を持つのかなぁ、との疑問がわいてきました。その時、ふと、以前読んだ鷲田清一氏の文章を思い出しました。それが、上述の文章です。
自分のことが他人に分かってもらえない、又は、自分は他人のことが分からない、ということに、人はとても不安を覚えるのかなぁ。だから、大きな集団に帰属して、意見の一致や感情の一致を確認しあい、仲間意識を持つことで、それらの不安を覆い隠し、安心感を得ることができるのかなぁ、って思いました。
私は、未熟な人間なので、自分のことさえよく分かりません。ましてや、他人のことも分からないし、自分が他人にどう思われているのかもよく分からないし、分からないことだらけなので、分からない、という前提の方が、不安や心配を大いに感じはするけれども、なぜか逆に落ち着いた気持ちにもなれるんです。
人は分かりあえるものなんだ、という前提で、失望したくないのかもしれない。分かりあえるなんて不可能だ、という前提で、ほんの一瞬でも誰かと通じ合えたと思える瞬間があるのならば、もうそれで十分だって思うんです。
ファクトフルネス2020:その1
『社会と文化は常に変わり続けている。小さくてゆっくりとした変化であっても、積み重ねれば大きくなる。毎年1%の成長では遅いと思えても、70年続けば倍になる。2%なら35年で倍だ。3%ずつ成長すれば、倍になるのに24年しかかからない。
紀元前3世紀に世界で初めて自然保護区域をつくったのは、スリランカのデーワー・ナンピアティッサ王だった。ヨーロッパで同じような考えが生まれたのは2000年も後で、イギリスのウェスト・ヨークシャーが初めてだった。アメリカでイエローストーン国立公園ができたのは、その50年後だ。
1900年までに、地球上の0.03%の土地が保護された。1930年にはそれが0.2%になった。本当に少しずつ、10年単位で森林がひとる、またひとつと保護され、保護区域の面積は増えていった。1年単位の増え方は微々たるもので、数字に表せないほどだ。でもいまでは地表の15%が保護区域になり、その面積は増え続けている。』
(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ローランド著『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社、2019)
仕事が緊迫しているとき、彼(※ハンス・ロスリングのこと)はいつも周りの人に、こう叫ぶよう促した。
「夜通し進め!」
そして事態が絶望的とわかると、彼は笑って言うのだった。
「あきらめることはいつだってできる。だったら何も今あきらめなくてもいいじゃないか」
(ハンス・ロスリング、ファニー・ヘルエスタム著『私はこうして世界を理解できるようになった』青土社、2019)
あけましておめでとうございます!
『セサミ読書日記』というタイトルに沿って、やっと本の紹介をします!
昨年私が読んだ本で、最もグァァァァ~ンという衝撃を受けた2冊の本を紹介します。
①ハンス・ロスリング他著『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』
②ハンス・ロスリング著『私はこうして世界を理解できるようになった』
①については、最初は電子書籍で買ったのですが、良すぎて紙の本も買ってしまった。何やってんだか。電子書籍だと、手軽にハイライト(蛍光ペンみたいなもの)が引けるのですが、蛍光ペンだらけで、もはや何から手をつければいいのやら、書きたいことが多すぎるのだ~~~!まとめきれない、どうしよう!!!
世界の色々な事柄のデータをまとめて、物事の見方について書いた本です。そう聞くと、結構ドライでシャープで効率的な思考の本かな、なんて思っていたのですが、いやいや、私の頭は除夜の鐘で108回打ち付けられたくらいの衝撃でありました。
2018年に発売され(日本では2019年)、世界で200万部、日本でも2019年のビジネス書・実用書ランキング1位。
かのビル・ゲイツ氏は、「名作中の名作。世界を正しく見るために欠かせない1冊だ」と評し、2018年にアメリカの大学を卒業した人(学士号・準学士号・修士号を取得した人)で、ビルゲイツのブログに登録して大学名を入力しさえすれば、希望者全員に、この本を無料でプレゼントしたそうです。
著者のハンス・ロスリングはスウェーデン出身の医者で、大学時にモザンビーグの独立運動の初代指導者と出会ったことをきっかけに、大卒後モザンビーグで医者として働きました。ロスリング氏の言葉を借りると、「スウェーデンの100分の1の人材・資源で、100倍の患者を診なければならない」という超現場の人です。タピオカの原料であるキャッサバに毒が含まれ、これによって足などに麻痺が起きることを突き止めた人でもあります。その後、WHO(世界保健機構)やユニセフなどで保健アドバイザーを務め、スウェーデンにおける国境なき医師団を設立します。世界中を講義して周り、その後の色々についてはこれから書いていきたいと思います。
世界中の現実に飛び込んで働きまくってきた医者が、統計という数字を用いることによって、世界の見方を提示しているのです。単なる楽観主義的な言葉ではなく、統計と数字だけで論じるのでもなく、世界中の現場から培ってきた経験を元に、人類は絶え間ぬ努力によって少しずつ少しずつ進歩し、世界をより良くしていったのだと。だから、多くの人々が気づいていない様々な偏見を取り除いて正しく冷静に見つめ、1mm1mmずつ進めていくことで、解決することができるのではないか、そんな大いなる希望を与えてくれる本です。
『わたしは日頃から、人類のすばらしい進歩について誰かに語るたびに、「ハンスさんは楽観主義社なんだね」とレッテルを貼られる。正直、いい加減にしてほしい。わたしは楽観主義社ではない。楽観主義社というと世間知らずのイメージがあるが、わたしはいたって真面目な「可能主義者」だ。
「可能主義者」とは、根拠のない希望を持たず、根拠のない不安を持たず、いかなる時も「ドラマチックすぎる世界の見方」を持たない人のことを言う。ちなみに「可能主義者」はわたしの造語だ。可能主義者のわたしは、「人類のこれまでの進歩を見れば、さらなる進歩は可能なはずだ」と考える。
単に楽観しているわけではない。現状をきちんと把握し、生産的で約に立つ世界の見方をもとに行動している。』
(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ローランド著『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社、2019)
これから少しずつ説明していきますが、①は全400ページ、②は全300ページの本なので、読書はちょっと苦手、という方は、次の動画を観ても、面白いかもしれません。
正直私は、中田敦彦氏の動画で知りました。すごくいいです。しかし、本を読むと100倍くらい深まりますよ!
【FACTFULNESS】データを基に世界を正しく見るファクトフルネス〜①〜ビル・ゲイツやオバマ元大統領が大絶賛した名著
ハンス・ロスリング自身による熱演に耳を傾けてもいいかもしれません。私はこの動画が大好きなのですが、英語字幕しかない・・・グラフの説明だけで、絶賛の嵐です!
The best stats you've ever seen | Hans Rosling
日本語字幕のある動画はこちらです。
How not to be ignorant about the world | Hans and Ola Rosling