セサミ色々日記

雑談に変更

アマルティア・セン:2

③2011年11月22日:センについての補足

前回、アマルティア・センについて簡単な紹介を書きました。付け足しで、センの著書の特色について書かせてください。

 センの著書のうち、一般の人々向けに書かれたものは大変読みやすいのですが、専門書は、とっても難しくて読みにくいです。経済学の分野では、数式がばりばり使われていて、また、経済学以外の分野は、本当にとことん理論づくめで、ちょっとでも気を抜くと、何を言っているのかわからなくなってしまい・・・。私が読んだ本は、まだ大分読みやすいものだったのですが、それでも大変でした(※読破できたのは3冊だけです)。ウィキペディアでは、『センは経済学の中でも高度な数学と論理学を使う厚生経済学や社会選択理論における牽引者である』と評されています。

 センの扱う分野は、貧困、平等、道徳、正義、倫理などの、情感に流されやすい内容です。だからこそ、数学と鋭い論理でもって、徹底的に理性的に論じることで、説得力を持てるのではないか、と私は考えます。
 センの経済学・哲学の根底には、過酷な、あまりに過酷な現実を、少しでも良い方向に持っていきたいという強い願望と、理不尽な立場に置かれている人々に対する暖かく優しい想いに溢れているように思われます。しかし、だからこそセンは、感情を排除し、数学と理論で武装し、世界に斬り込んでいくのです。

 更にすごいのは、センは、自分と反対意見の相手を打ち負かすために、議論をしているのではありません。単に反論するのではなく、議論によって、より良い結論を導き出し、現状を少しでも改善していこうとしているのです。センの著書の訳者である大石氏は、このように評しています。

 センの議論が他の論者とやや違うところは、他の論者たちがまったく気付かずにいた論争全体の盲点を付くこともしばしば行いますが、それだけではありません。蝸牛角上の争いに堕しやすいアカデミックな哲学論争の双方の対立意見に含まれる、その最も優れた部分を見事に見抜いて融合させて、現実のなかで生じている問題の具体的解決へ向かうところに、センの議論の特色があります。

p.s.
 センは数学と論理でもって、徹底的に理性的に論を進めると書きましたが、そういうお前はどうなんだ?!と聞かれたら、いや、全くもってダメです。全然ダメです。すみません
 私は、なるべく理性的であろうとは思ってはいるのですが、最終的には自分の直感に従います。今までの経験上、それが一番上手くいくから。自分自身に関しては、理性よりも動物的感覚の方が良いような感じがします(※ホモ・サピエンス以下?!まあ、別にそれでもいいや)。もちろん、直感だからはずれることも多いけど、短時間理論的に考えても絶対出てこないことを当てたりできます。そして、その後、数週間または数ヶ月間または数年間かけて、自分の感覚を理論化していきます。一応、人のはしくれとして・・・。
 良い子の皆さんは、人間ならば、アマルティア・センをお手本としましょう!お願いします。

 

④2012年1月11日:考える自由①

私が初めて殺人事件に遭遇したのは、11歳のときだった。イギリスによるインド統治末期を象徴する共同体間の暴動が頻発した1944年のことだ。(中略)おびただしく出血している見知らぬ人が、突然うちの門から庭に転がり込んでくるのを私は見た。助けを求め、水を少しくれと言いながら。私は両親に向かって叫び、水を汲みに行った。父はその負傷者を病院に急いで連れていったが、彼はそこで息を引き取った。カデル・ミアという名前の人だった。
(中略)
 ムスリムの日雇い労働者だったカデル・ミアは、ごくわずかな賃金のために近所の家に向かう途中で、刃物で襲われた。カデル・ミアを路上で刺したのは、彼がだれか知りもせず、おそらくはそれまで一度も彼を見たこともない人びとだった。11歳の子供にとって、この事件はまさしく悪夢であっただけでなく、なんとも不可解な出来事だった。なぜ突然、人が殺されなければならないのだろう? しかも、犠牲者のことを知りもしない人間によって、なぜだ? 彼が殺害者たちにどんな危害を加えたというのだ?
(中略)
 車で病院に駆けつけるあいだに、カデル・ミアは私の父に、共同体間の暴動が起きているあいだは、敵地に入らないよう妻から言われていたと語った。だが、家族に食べさせるものがなく、彼はわずかな収入を得るために、仕事を探しに出かけなければならなかった。家計が逼迫して必要に迫られたことの報いが、死を招く結果になったのだ。経済的貧困と広範囲に及ぶ不自由(生きる自由すら失うこと)の恐ろしい結びつきは、圧倒的な威力をもって私の子供心に、深い衝撃を与えながら刻まれた。


 今回から、アマルティア・セン著の『アイデンティティと暴力』という著書について紹介をしていきます。
 この本では、近年世界で起きているテロ、紛争、暴動は、人々を宗教・民族・文化といった観点のみから分類することでより助長されている、という論が展開されています。人間を包括的で単一の区分のみに基づいて分類をすることは、人間を矮小化し、暴力を助長し、考える自由を奪うことにつながるとセンは考え、そのようにならないための解決策を示しています。

 現在の日本においては、民族間や宗教間の激しい対立が起きている訳ではないので、この本をわざわざ紹介する必要はないかなぁ、センの紹介のみで十分かなぁ、と悩んだのですが、以下の2つの理由により、やっぱり書こうと思いました。

 近年、日本企業のグローバル化が著しく、この先一層進展すると考えられます。今の二十代以下の人たちが外国に赴いて働く機会は増えていくだろうし、また、たとえ日本にずっと暮らしているとしても、様々な国籍の人たちと一緒に仕事をする機会が増えるでしょうから、上記のような内容を理解しておくことは必要ではないかと、考えたからです。

 もう一つの理由は、二十代以下の人たちの方が、その上の年代の人たちよりも、センの考えをより理解できるのではないか、と感じたからです。
 私は日経新聞を購読しているのですが、今年の1月から1面に、『C世代駆ける』という特集記事が連載されています。『C世代(ジェネレーションC)』とは、コンピューター(Computer)を傍らに育ち、ネットで知人とつながり(Connected)、コミュニティー(Community)を重視し、変化(Change)をいとわず、自分流を編み出す(Create)という、ソーシャル・メディアが生んだ若年世代を指しています。
 日本の経済状況が逼迫していくにつれ、保守的で閉鎖的な考え方が強くなっていくのではないかと私は懸念しているのですが、その一方、上記のような『C世代』が突破口として働き、新たな世界を創っていってくれるのではないか、とわくわく期待もしています。
 センの考えを私ごときがどこまで伝えられるのか、かなり心もとなさを感じてはおりますが、もしかしたら少しは役立つことがあるかもしれないと考え、できる範囲で頑張ってまとめてみよう!と思いました。
 なお、センの著書からの抜粋は「黒色の文字」で、他からの引用は「ピンク色の文字」で、私の解説は「紺色の文字」で示します。


【1】包括的で単一の区分法による人間の分類

・過去数年間に起きた暴力的な事件や残虐行為は、恐ろしい混乱と悲惨な衝突の時代の幕開けを告げるものとなった。世界的な政治的対立は、往々にして世界における宗教ないし文化の違いによる当然の結果と見なされている。(中略)この考え方の根本には、世界の人びとはなんらかの包括的で単一の区分法によってのみ分類できるという、偏った思い込みがある。

・現代の世界における紛争のおもな原因は、人は宗教や文化にもとづいてのみ分類できると仮定することにあるのだ。単一的な基準による分類法に圧倒的な力があることを暗に認めれば、世界中が火薬庫になる可能性がある。世界を一意的に分割する見方は、人間みた似たもの同士という昔ながらの考えに反するばかりでなく、われわれはさまざまに異なっているという、あまり議論されないが、より説得力のある理解にも逆らうものだ。


 
 例えば、ウィキペディアによると、2001年の同時多発テロ後、アメリカではイスラム教への敵意が広まり、ムスリム(男性なら頭にターバンを巻き髭を生やした人、女性ならばヒジャブを被り顔だけ出している人)に対するヘイトクライム(※憎悪犯罪)の数が急増した。イスラム寺院イスラム教の学校、中東系のコミュニティセンターには電話や手紙による脅迫が相次ぎ、落書き、石や火炎瓶の投擲、銃撃、豚の血を入れた箱をモスクの入り口に置いておくという悪質な嫌がらせである。道を歩いていても罵声を浴びたり、アラブ系経営者のお店、特にガソリンスタンドも危険なため、閉鎖せざるをえない状況になった。ムスリムは1日5回の祈りをするが、そのお祈りの中心寺院であるモスクも暴動を恐れて閉鎖された。大学キャンパスでは中東系の学生が卵を投げつけられたり、職場では突然解雇されたり、数々の嫌がらせがアメリカ国内で広がった。アラブ系には全員身分証明書携帯を義務づける案に対して賛成者が49%、アラブ系の強制送還を求めようという案には58%ものアメリカ人が賛成する結果が出た」そうです。

 ある人個人がどのような人かということは全く考慮されず、単にイスラム教徒というだけで、憎悪の対象となってしまうという状況です。宗教という単一区分のみで人を判断するため、イスラム教徒ならば誰であろうと悪である、という図式が成り立ってしまうのです。
 古い話ですが、第二次世界大戦中の日本だって、「打倒鬼畜米英」という言葉にあるように、アメリカ人・イギリス人=鬼畜、という図式が成り立っており、多くの人々はその考えに洗脳されていたのですしね。
(時間がないので今日はここまで。つづく)